武士の芸事・吟剣詩舞
剣舞とは
武士の芸事・吟剣詩舞
剣舞とは

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明治期以降に旧武士階級の人々を中心に盛んになった剣舞(けんぶ)。その実践、鍛錬を通じて、青少年の体力はもちろん、精神力の修練も行なえると考えられていました。

信仰と剣

古代より皇位の印として歴代天皇に伝わってきた宝物である三種の神器に、愛知県名古屋市熱田神宮にご神体として祀られている草薙剣(くさなぎのつるぎ、天叢雲剣[あめのむらくものつるぎ]とも称する)が含まれていることからも分かるように、日本人は日本刀(刀剣)を神聖な物と見なしていました。

草薙神剣は、天皇の強力な武力の象徴とされていて、日本神話の中で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際、大蛇の体内から取り出された神剣であるとされています。

また、奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)に祀られている布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は、その霊力で大和の国に平定をもたらしたと伝えられています。

他にも、茨城県鹿嶋市にある、日本の建国に貢献し武道の神様となった武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を御祭神とする鹿島神宮には、直刀黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)が収蔵されています。

  • 鹿島神宮

    鹿島神宮

  • 直刀黒漆平文大刀拵

    直刀黒漆平文大刀拵

直刀黒漆平文大刀拵は、神武天皇が東方征伐で窮地に陥った際に霊力を発揮し、天皇の軍勢を盛り上げ勝利をもたらしたと言われており、国宝に指定されています。他にも、様々な由来を持つ宝剣がご神体とされ、日本各地に祀られています。

さらに、神道の神事においては、神に奉納される歌舞(うたまい)・神楽(かぐら)でも日本刀(刀剣)が使用されました。

日本各地に残されている伝統芸能や、民間信仰の祭事において披露される踊りでも、日本刀(刀剣)が数多く使用されています。

古事記や日本書紀など、日本古代の歴史書に記される神話にも数多くの日本刀(刀剣)が登場しますが、これらは武具として敵を倒すために使用されるというよりも、神秘的な力をもつ霊剣として登場し、それを手にした者を厄災から護る物として描かれています。そのため神楽や踊りで使用される日本刀(刀剣)もまた、厄災を祓う神聖な物として位置付けられていると考えられます。

こうした、刀剣を神聖な物として信仰や神事、民俗芸能に取り入れることは日本だけではなく、世界中で古くから行なわれ、受け継がれてきました。現在でも、世界各地の宗教的祭礼や民俗行事では刀剣を使用した舞踊を見ることができます。

武士の剣舞(けんぶ)

一方、明治期以降に旧武士階級の人々を中心に盛んになった剣舞と、その後確立された舞台芸術である吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は、信仰とは関連を持ちません。吟剣詩舞とは、帯刀を許されていた旧武士階級の人々が生み出した芸術であり、漢詩や和歌の持つ詩情や人生観、武士のアイデンティティを刀剣を手にした舞で表現し、さらに精神を鍛錬するための嗜みとして愛好されました。

幕政時代の武士にとって、日本刀(刀剣)とは自らの階級、精神、プライドを象徴する物であり、必要不可欠な物でした。

明治時代に英文で著述した「武士道」で、諸外国に日本の「侍」という生き方を紹介した新渡戸稲造は、その著書の中で「The sword, the soul of the samurai.~日本刀(刀剣)は武士の魂である~」と記し、武士と日本刀(刀剣)の強固な繋がり、絆を紹介しました。

しかし、大政奉還、王政復古、それに続く版籍奉還により、政権は天皇を頂点とする新政府へと移り、武士達はその階級と職務を失います。

四民平等の政策を採った新政府は、一部の大名家などに華族、士族として特権的な地位を与えますが、御家人と呼ばれた下級武士達は、行政官僚としての地位と職を失い、多くが困窮することとなりました。

続いて廃刀令が発布されると、旧武士達はさらに危機的状況に直面します。身分や職業を失うだけでなく帯刀を禁じられることは、自らのアイデンティティ、武士として培った価値観、人生観などすべてを否定されることと同じでした。

一方、新政府内でも外交問題などで衝突が相次ぎ、遂には政府首脳と官僚の一部が辞職するなど、混乱が続いていました。

急速に変化する社会情勢の中で取り残され、喪失感と政権への不信感を抱いた一部の旧武士達は各地で反政府活動を展開し、「不平士族」と呼ばれました。

西南戦争

西南戦争

そして、明治10年(1877)、新政府を離れた西郷隆盛が率いる旧薩摩藩士族が決起し、西南戦争が勃発。苦戦の末、新政府軍が勝利を収めると、士族反乱も治まりました。

以降、新政府への反発は自由民権運動へと取りこまれていき、武士道と呼ばれた人生観、道徳倫理観は文明開化により少しずつ消失しようとしていました。

吟剣詩舞の誕生

士族反乱が収束したあと、旧武士達は嗜み(たしなみ)としての剣術や居合道、そして吟詠(ぎんえい)に合わせて日本刀(刀剣)を手に舞う剣詩舞を通じて日本刀(刀剣)との繋がりを保つようになりました。

帯刀は許されませんでしたが、日本刀(刀剣)の所有は依然許されており、剣術や剣舞を行なうことで日本刀(刀剣)を手にすることができたのです。

古くから嗜まれていた剣術、居合道とは異なり、吟剣詩舞は明治初期に興った新しい芸術です。吟詠と剣術という、武士が嗜んだ文化を融合したものであり、古武道の形を取り込んだ舞を漢詩などの吟詠に合わせて披露する舞台芸術です。

吟詠と共に披露される剣詩舞は、明治初期の剣術家、榊原健吉が始めたと言われています。榊原は、旧江戸幕府の講武所剣術教授方(師範)であった人物で、剣術の試合を見世物とした撃剣興行を主宰し、地位や職を失い困窮した旧武士達を救済しようとしました。

相撲を参考に撃剣興行を考案した榊原は、東京・浅草に興行場を設け開演。出演した旧武士達に収益を分け与えました。榊原はまた、撃剣興行の余興として剣舞を取り込んだそうです。

撃剣興行は各地で好評を博し、東京府(現在の東京都)内に多くの興行場ができた他、広く日本中に広がり、全国各地で興行が行なわれました。

日比野雷風

日比野雷風

同じ頃、東京で剣術家として活躍していた若き日比野雷風(ひびのらいふう)は、著名な剣術家の勧めに応じて、剣詩舞に剣術や居合術、柔道などの武術の型を加え、「吟剣詩舞」を世に送り出します。

日比野は、吟剣詩舞を通じて武士道の精神を喚起し、継承していこうと考えたのです。そのため、舞に様々な武術の要素を取り込み、武者の心得を解する者が舞う芸術としてまとめ上げ、「剣舞」を武術により近い芸道としての「剣武」と名を改め、「神刀流剣武」を開眼します。

以降、漢詩や和歌の吟詠に合わせて、武術の型を取りこんだ舞を演者が披露する吟剣詩舞は、興行として観覧を楽しむだけでなく、旧武士層をはじめ幅広い人々が修得を目指す武芸として広がります。

そして、日比野以外にも独自の舞を提唱する剣術家が登場し、現代に至るまでに多くの吟剣詩舞の流派が誕生しました。現在では、吟剣詩舞は老若男女併せて多くの人々が嗜む伝統芸術として浸透しています。

神事としての剣舞と異なり、吟剣詩舞は旧武士層の嗜みである剣舞を、武術や吟詠と融合し、舞台芸術として発展していきました。

また、本格的な古武道の型を取りこんだことにより、身体の鍛錬にも有効とされ、明治期以降の少年教育の現場では、剣舞が教科として採用されることもありました。剣術とともに技術、精神力を養うことに有効な武術であると認められていたのです。

明治から昭和初期に発刊された教育書、教科本には剣舞の心得、舞い方などが、吟詠法などと共に記述されています。吟剣詩舞は教科として、レクリエーションとして日常的に嗜むことが推奨されていました。剣舞の実践、鍛錬を通じて、青少年の体力はもちろん、精神力の修練も行なえると考えられていたのです。

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謡と剣舞:吟剣詩舞とは

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武士の嗜みは剣術、弓術といった武道だけではありませんでした。日本刀(刀剣)を手に舞う「吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)」とは、古武道を芸術に昇華させた芸能であり、武家社会の生み出した舞踊です。

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吟剣詩舞の精神

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古武道の鍛錬とは、剣術など古武道の技術だけでなく、武術を行なう者=武者としての心構えや精神性も修養することだとされています。剣舞(けんぶ)における演者にとっても、ただその型を真似るのではなく、精神、技術ともに詩の主人公を体現することが優れた表現なのだと考えられています。

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吟剣詩舞を確立した日比野雷風

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元治元年(1864)、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の刀鍛冶・日比野源道義の息子として生まれた日比野雷風(ひびのらいふう)は、神刀流剣武術と武道の精神を広めるべく日本各地を精力的に訪問し、普及活動を行ないました。

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吟剣詩舞の吟詠

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幕政時代の末期には、漢詩を教育する際に節を付けて聞かせることが行なわれており、これが吟詠(ぎんえい)、詩吟の原型だと考えられています。吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)においての吟詠は舞の詞章、ストーリーを詠ずる伴奏となります。

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吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の衣装と小道具
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は、演劇とは異なり、凝った衣装や化粧などで詩文の世界観を演出することはありません。小道具としては打刀を主に使用しますが、詩文によっては脇指、薙刀、長巻、槍、二刀流などの様々な日本刀(刀剣)や、それに加えて扇や丈(じょう)という長い木の棒を用いることもあります。

吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の流派

吟剣詩舞の流派
明治末期から大正にかけて、古典芸道である吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)にも次々と流派が誕生しました。新しい流派は、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞(けんぶ)を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様でした。

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現代の吟剣詩舞

現代の吟剣詩舞
誕生から120余年を経て現在も発展を続けている吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)。今日ではアニメや漫画を題材にした作品や、琴、尺八、三味線などの和楽器での演奏、シンセサイザーの演奏などが加わる演目なども増えてきています。

現代の吟剣詩舞

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞を鑑賞できる場所
明治時代、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞の演目

吟剣詩舞の演目
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)が開眼された初期には、藩政時代の大名、学者、江戸末期から明治初期にかけて活躍した学者や軍人の詠んだ漢詩が詞章とされ、吟詠(ぎんえい)、剣舞(けんぶ)で表現されました。水戸藩の2代目藩主「水戸光圀」の詠んだ漢詩「詠日本刀」や9代目水戸藩主「徳川斉昭」作の漢詩「大楠公」は、詩吟や吟剣詩舞の演目として有名です。

吟剣詩舞の演目

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