武士の芸事・吟剣詩舞
謡と剣舞:吟剣詩舞とは
武士の芸事・吟剣詩舞
謡と剣舞:吟剣詩舞とは

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武士の嗜みは剣術、弓術といった武道だけではありませんでした。日本刀(刀剣)を手に舞う「吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)」とは、古武道を芸術に昇華させた芸能であり、武家社会の生み出した舞踊です。

剣術だけではない武士の嗜み

猿楽は能楽(能・狂言の総称)のことであり、江戸時代までは猿楽と呼ばれていました。

猿楽

猿楽

7世紀頃、中国大陸から伝えられた芸能である散楽(さんがく)が、日本古来の芸能である雅楽や各地の芸能と融合され、猿楽の基礎が形成されたのです。

当初、猿楽は神楽の余興として演じられましたが、その後寺社の法会や祭礼などにも取り入れられ、娯楽的な側面が抑えられるようになります。

さらに、室町時代に観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)親子が登場すると、歌舞中心の構成となり、猿楽の芸術性が高められ、武士に愛好されるようになりました。滑稽さを主とする狂言に対し、歴史物語や神話を題材として舞い詠う能は、織田信長豊臣秀吉をはじめとする多くの有力武将達に愛好され、庇護を受けて発展します。

そして、幼少時から能を愛好した徳川家康は自ら舞うことも多く、江戸幕府が開府されると、猿楽を武士の儀式用の芸能である式楽(しきがく)としました。

式楽とは、寺社の祭事において奏でられる音楽や舞を称したものであり、従来は宮廷行事に奏でられる雅楽などを式楽と称しましたが、江戸時代以降は猿楽を式楽と称するようになったのです。

式楽として定められたことにより、猿楽は武家社会に広く、深く浸透します。武士達は、猿楽を鑑賞するだけではなく、自ら謡い、舞うことを修得しました。

そして、猿楽を生業とする猿楽師のなかには幕府や藩に仕える者が多く現われ、なかには、大名に出世した者もいました。

江戸時代中期、1710年(宝永7年)に5万石の上野(こうずけ)高崎領主となった間部詮房(まなべあきふさ)は、甲府藩家臣の子として生まれますが、成長すると猿楽師・喜多七太夫(きたしちだゆう)の弟子となります。猿楽師として修行するうち、6代将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)に小姓として取り立てられた間部詮房は、その後も出世を続け、遂には幕府の要職に就いたのです。

武将の庇護のもと発展してきた猿楽は、江戸時代に幕府の式楽となることで、更なる発展を遂げました。

文武両道が武士の心得

猿楽の他に、武士が身に付けた教養として漢詩文(かんしぶん)があります。漢詩文とは、中国古来の詩や韻を踏んだ文章で、もとは朝廷貴族の嗜みでした。貴族達は漢詩文を学び、創作することを教養としていました。

その後、武家政権の時代になると、漢詩文は武士の間でも教養として広まります。

文武両道を求められた武士達は、剣術や戦術の修得、肉体的鍛錬だけではなく、漢詩文などの学問を通じて高い教養や知性を併せ持つことを求められました。

そのため有力な武家では、男児に禅僧などの教育者を付け、精神の鍛練と武士としての素養を幼少時に身に付けさせたのです。その教育の中に漢詩文の学習も含まれており、剣術や戦術に加えて文芸に秀でた武将も多く出現します。

明智光秀

明智光秀

武田信玄伊達政宗は優れた漢詩を残しており、本能寺の変のあと自害した明智光秀は、「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元(順逆二門に無し、大道心源に徹す。五十五年の夢覚め来れば一元に帰す)」(意味:信長に謀反を起こしたが、間違ったことではない。信長も武士である。自身の心に従っただけである。 55年の夢から覚めて、今からは一元に還るのだ)と漢詩で辞世の句を詠んだと言われています。

戦国時代以降は、漢詩で辞世の句を残した武将が多く、それぞれの人生観が漢詩に表出されています。

江戸時代初期になると、林羅山(はやしらざん)や石川丈山(いしかわじょうざん)といった学者が現われ、優れた漢詩を生み出します。

また、米沢藩の智将として現代でも知られている直江兼続(なおえかねつぐ)も、漢詩文の才にあふれた文人であり、優れた漢詩を残しています。兼続はさらに、文化資料の収集にも積極的に取り組み、現在では4国宝に指定されている宋版史記や漢書などを収集した文人だったのです。

武家社会においては、漢詩文は教養であるだけでなく、文芸として深く浸透していました。

一方、古くは宮廷貴族の嗜みであった、漢詩や和歌に節を付けて詠う朗詠(ろうえい)もまた、武家社会で広まり嗜まれました。

貴族社会における朗詠とは、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)などの楽器での演奏を伴うものでしたが、武家社会の朗詠は、和漢の詩歌に曲折を付けて歌い上げるもので、宴席などでしばしば披露されました。

そして江戸時代後期になると、幕政に儒教を取り入れたため、漢詩を朗詠する朗吟(ろうぎん)が盛んになります。

幕府直轄の昌平坂学問所、藩校などでは、漢詩文の教育に朗詠を採用。詩文の情景や意味を理解しながら覚えるために、漢詩文の朗詠を生徒に勧めたのです。教育方法としての漢詩文の朗詠は、幕末頃には詩吟という芸道として確立されます。

こうして、漢詩文と朗詠は、武士とより強く結び付きました。

日本刀を手に武士が舞う吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)

日本刀(刀剣)を手に舞う剣舞(けんぶ)の歴史は古く、奈良、平安時代から舞と器楽で行なう舞楽(ぶがく)や神社の祭礼において舞われる神楽(かぐら)にありました。神楽とは、神と人とが交流するための歌舞であり宗教的、儀式的な意味合いの強いものです。

神楽としての剣舞はその後、念仏踊りや民俗芸能として広く庶民に愛好され続け、東北地方では、現在でも伝統芸能の鬼剣舞(おにけんばい)として人々に伝えられています。

一方、教養として能の舞や漢詩文の朗詠などを身に付けた武士達も、日本刀(刀剣)を手に「剣舞」を舞うことがあったのです。

1919年(明治43年)に刊行された「國民百科全書」(尚文館)の【剣舞】の説明には、安政の時代(1855~1860年)に、江戸幕府直轄の教育機関である昌平校(昌平坂学問所)の書生が酔った際に、詩の吟詠(ぎんえい)に合わせて腰に差した日本刀(刀剣)を抜き、舞ったことがきっかけで広まったとあります。本来、戦闘集団であった武士にとって、最も身近な存在であり、自らのアイデンティティを象徴する日本刀(刀剣)を舞に用いることは、ごく自然なことであったのだと考えられます。

また、漢詩文には武将の心情や戦について詠ったものが多いため、日本刀(刀剣)を手に舞い、詩文の世界観を表現したのです。

吟剣詩舞

吟剣詩舞

そして明治に入ると、吟詠と剣舞を併せた剣詩舞(けんしぶ)がもと武士を中心に広まり、現代の吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)が形成されます。

吟剣詩舞では、帯刀時の姿勢から日本刀(刀剣)の差し方、構え方、斬り方などすべてを、古武道に則って舞に取り込んでいます。

演者は漢詩や謡曲の吟詠に合わせて、武士の精神や気迫、格調、吟詠される物語の悲哀などを剣舞や扇を使用した詩舞で表現します。舞においては、テーマとなる詩の持つ心情、情景などを理解した上で、武者の精神、気迫、格調を持って表現することが求められます。そのため、演者には武道の心得が必須とされました。

吟剣詩舞とは、古武道を芸術に昇華させた芸能であり、武家社会の生み出した舞踊なのです。

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剣舞とは

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明治期以降に旧武士階級の人々を中心に盛んになった剣舞(けんぶ)。その実践、鍛錬を通じて、青少年の体力はもちろん、精神力の修練も行なえると考えられていました。

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吟剣詩舞の精神

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古武道の鍛錬とは、剣術など古武道の技術だけでなく、武術を行なう者=武者としての心構えや精神性も修養することだとされています。剣舞(けんぶ)における演者にとっても、ただその型を真似るのではなく、精神、技術ともに詩の主人公を体現することが優れた表現なのだと考えられています。

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吟剣詩舞を確立した日比野雷風

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元治元年(1864)、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の刀鍛冶・日比野源道義の息子として生まれた日比野雷風(ひびのらいふう)は、神刀流剣武術と武道の精神を広めるべく日本各地を精力的に訪問し、普及活動を行ないました。

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吟剣詩舞の吟詠

吟剣詩舞の吟詠
幕政時代の末期には、漢詩を教育する際に節を付けて聞かせることが行なわれており、これが吟詠(ぎんえい)、詩吟の原型だと考えられています。吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)においての吟詠は舞の詞章、ストーリーを詠ずる伴奏となります。

吟剣詩舞の吟詠

吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の衣装と小道具
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は、演劇とは異なり、凝った衣装や化粧などで詩文の世界観を演出することはありません。小道具としては打刀を主に使用しますが、詩文によっては脇指、薙刀、長巻、槍、二刀流などの様々な日本刀(刀剣)や、それに加えて扇や丈(じょう)という長い木の棒を用いることもあります。

吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の流派

吟剣詩舞の流派
明治末期から大正にかけて、古典芸道である吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)にも次々と流派が誕生しました。新しい流派は、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞(けんぶ)を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様でした。

吟剣詩舞の流派

現代の吟剣詩舞

現代の吟剣詩舞
誕生から120余年を経て現在も発展を続けている吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)。今日ではアニメや漫画を題材にした作品や、琴、尺八、三味線などの和楽器での演奏、シンセサイザーの演奏などが加わる演目なども増えてきています。

現代の吟剣詩舞

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞を鑑賞できる場所
明治時代、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞の演目

吟剣詩舞の演目
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)が開眼された初期には、藩政時代の大名、学者、江戸末期から明治初期にかけて活躍した学者や軍人の詠んだ漢詩が詞章とされ、吟詠(ぎんえい)、剣舞(けんぶ)で表現されました。水戸藩の2代目藩主「水戸光圀」の詠んだ漢詩「詠日本刀」や9代目水戸藩主「徳川斉昭」作の漢詩「大楠公」は、詩吟や吟剣詩舞の演目として有名です。

吟剣詩舞の演目

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