武士の芸事・吟剣詩舞
吟剣詩舞を確立した日比野雷風
武士の芸事・吟剣詩舞
吟剣詩舞を確立した日比野雷風

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元治元年(1864)、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の刀鍛冶・日比野源道義の息子として生まれた日比野雷風(ひびのらいふう)は、神刀流剣武術と武道の精神を広めるべく日本各地を精力的に訪問し、普及活動を行ないました。

剣術家・日比野雷風

日比野雷風

日比野雷風

日比野雷風は、元治元年(1864)、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の刀鍛冶・日比野源道義の息子として生まれました。そして2歳のとき、父親とともに江戸に転居します。

江戸で暮らし始めた日比野親子でしたが、しばらくすると父・道義は幼い雷風を置いて失踪。残された雷風は埼玉に転居し、名主の家で子守として働きながら成長します。奉公先で剣術を学んだ雷風は、将来は剣術家となるべく師範に師事し鍛錬を重ねました。

そして16歳になると、雷風は再び東京に転居。湯島天神に小さな道場を開き、「撃剣指南所 日比野正吉」の看板を掲げ、門弟とともに剣術の修行を重ねます。この頃の雷風は、ときには地方にも門弟と出かけ、各地の剣士との手合わせを行なうなどして修行を重ねていました。

また、剣術を生業としながら雷風は、居合術を始めとして柔術など様々な古武道も学び、日本武道全般を修得しようと努めたそうです。

20代の頃、雷風は帝国大学(現在の東京大学)で開催された、剣士が竹刀や木刀で戦う撃剣の会に出場します。当時、浅草や横浜の演芸場では、旧武士による撃剣興行が、演目として流行していましたが、一方で学生が勉学に加えて剣術の修練を積む文武両道も推奨されていました。雷風が参加した帝国大学での撃剣の会は、皇太子殿下をお招きし、剣術を学ぶ学生と師範が手合わせを披露する催しでした。そこで雷風は、皇太子の御附武官である杉山直弥大佐と知り合います。

後日、杉山大佐の家に招かれた雷風は、より深い剣術と様々な武術に関する研究を勧められます。王政復古、廃刀令などによる、「武士道精神の消滅」を危惧した杉山大佐は、雷風のような若い世代が剣術を中心とした武術に懸命に取り組み、日本の古武道が継承されることを望んでいたのです。

杉山大佐の紹介により、文学博士の重野安釋(しげのやすつぐ)氏を訪ねた雷風は、重野博士から剣舞(けんぶ)の歴史や精神、さらには古武道や剣術に宿るべき精神などを教示されます。重野博士も杉山大佐と同様に、本来は武術、剣術の精神を持ち文武二道の賜物であった剣舞が、いつしか技巧重視の舞楽となっていることを嘆き、武者としての精神の重要性を説きました。

杉山大佐、重野博士の教示を得た雷風は、古武道、剣術、武者としての精神力の復興に努めることを天命と考え、新たな剣舞術の創造へと取り組みます。

そして遂に明治23年(1890)、雷風は27歳にして神刀流剣舞術を開眼します。神刀流剣舞術とは、日本古来の剣術である居合術を基本に柔術、空手、舞踊の舞の要素を融合し、武者の精神性と芸術性を合せもつ剣舞として完成させたものです。雷風は神刀流剣舞術を神刀流武道、撃剣・剣舞術、居合術の流派として世に発します。

その後、明治39年(1906)に雷風は「舞」を「武」とし、「神刀流剣武術」と改称。より広く神刀流剣武術と武道の精神を広めるべく、雷風は日本各地を精力的に訪問し、普及活動を行ないました。普及活動に加えて、雷風は門弟の育成にも積極的に取り組み、門弟達と共に神刀流剣舞術を盛り立てようと努めたのです。

神刀流剣武術とは

神刀流剣武術

神刀流剣武術

神刀流剣武術の礎となった居合道は、戦国時代から江戸時代初期に創始された日本武道です。剣術のような打ち合いとは異なり、臨戦態勢ではない状態からの攻撃、防御のための武術です。

例えば、座ったまま鞘から日本刀(刀剣)を抜き、斬りつけまたは敵の刃を受け払い、鞘に戻すまでの技術を磨くものです。座す=「居る」ときにも、敵に「合わせる(迎え撃つ)」ための技術、型が組まれており、作法も決められています。

居合道の特徴は、鞘に入ったままの日本刀(刀剣)を瞬時に抜き、素早く攻撃に転じる技術を学ぶ武術であり、瞬発力とともに、高度な剣術を要する武術です。

雷風の開眼した神刀流剣武術では、武士の芸術、嗜みであった剣舞に居合術を始めとする古武道の型を取り込み舞うことで、武術の持つ気迫と武者としての精神力を表現することを目指しました。そのため、剣舞の演者には、詩文の内容、情景を把握するとともに、居合術や剣術などの古武道の素養、武士道精神の理解を踏まえて舞うことが要求されたのです。

神刀流剣武術の発展を目指した雷風は、時の政治家や軍属、財界、宗教界など多くの賛同者から助力を得て、現在の東京都文京区の小石川柳町に神刀流の本部を建築し、神田から道場を移します。その際雷風は「日本固有武士道の根本たる武術を授け、以て心胆体躯の修養を補益完成する所とす。」とし、剣舞の教育をより一層充実させるための本部開設であることを記しています。

完成した本部では神刀流剣武術、居合術の鍛錬が重ねられ、その結果多くの門弟が輩出されました。精神と武術の鍛錬を要する神刀流剣舞術は、本部で育成された門弟達によって日本各地へ広められ、旧武士階級だけでなく幅広い人々に愛好されるようになり、各地に道場や支部が開設されたのです。

そして神刀流剣武術の隆盛に続いて、様々な吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)の流派が誕生し、武術と舞踊、吟詠(ぎんえい)を融合した吟剣詩舞は、舞台芸術として発展。現在、吟剣詩舞の流派は全国に1,000以上あると言われています。剣術、居合道においても多数の流派が存在しており、各宗家がそれぞれの技法を礎に新たな剣舞を創立した結果、吟剣詩舞は伝統芸道として今日まで発展したのです。

現代における吟剣詩舞

吟剣詩舞

吟剣詩舞

芸術として、鍛錬の機会として普及した吟剣詩舞は、誕生以来脈々と継承され、今日に至るまで発展を続けています。

現在、日本国内には吟剣詩舞としての流派、詩吟の流派、剣詩舞の流派と細分化した宗家も含め、たくさんの流派が存在し、子どもからお年寄りまで幅広い人々に愛好されています。

宗家の他、各地に関係団体や振興団体、教室などが設立され、吟剣詩舞は日本の伝統芸能として根付いています。

宗家ごとに主旨や表現法は異なりますが、吟剣詩舞を「日本人の心情を表現する吟詠に合わせ、古武道の格式と詩の心を舞で表現する芸術」と位置づけ、後進の育成が積極的に進められています。

鍛錬の成果を披露する発表会や大会、コンクールなども数多く開催されており、舞台上では老若男女の吟詠者、演者による勇壮な表現が繰り広げられています。

さらに、近年では海外での普及活動も盛んに進められ、宗家ごとに海外公演や講演を通じて吟剣詩舞を紹介し、ヨーロッパを始めとする諸外国の愛好者も増加しつつあります。吟剣詩舞は、欧米人に感銘を与える「武士道」を体現する舞台芸術として多くの人々に受け入れられているのです。

武士道のもつ高潔で真摯な道徳倫理観に憧れを抱く欧米人は多く、吟剣詩舞には武術、舞踊の素養だけではなく、武者としての精神も反映されているため、多くの欧米人を惹きつけるようです。舞台を観覧して感銘を受け、自ら吟剣詩舞を学び、吟詠者、演者として日本国内の大会などに参加する人もいます。

また、新たな表現を取り入れた革新的な舞やストーリーの採用。来日した外国人に向けて吟剣詩舞を紹介するシアターなども誕生しています。短時間で吟剣詩舞の鍛錬を体験する、装束を着用して写真撮影するといったコースが多く開設され、外国人観光客を中心に大盛況となっています。

吟剣詩舞は日本の伝統芸能、武士道を体現する舞台芸術として発展してきましたが、現代においては時代に即したスタイルでの演技、題目などの発表を通じて、新たな観客層を獲得しています。

吟剣詩舞を確立した日比野雷風

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謡と剣舞:吟剣詩舞とは

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武士の嗜みは剣術、弓術といった武道だけではありませんでした。日本刀(刀剣)を手に舞う「吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)」とは、古武道を芸術に昇華させた芸能であり、武家社会の生み出した舞踊です。

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剣舞とは

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明治期以降に旧武士階級の人々を中心に盛んになった剣舞(けんぶ)。その実践、鍛錬を通じて、青少年の体力はもちろん、精神力の修練も行なえると考えられていました。

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吟剣詩舞の精神

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古武道の鍛錬とは、剣術など古武道の技術だけでなく、武術を行なう者=武者としての心構えや精神性も修養することだとされています。剣舞(けんぶ)における演者にとっても、ただその型を真似るのではなく、精神、技術ともに詩の主人公を体現することが優れた表現なのだと考えられています。

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吟剣詩舞の吟詠

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幕政時代の末期には、漢詩を教育する際に節を付けて聞かせることが行なわれており、これが吟詠(ぎんえい)、詩吟の原型だと考えられています。吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)においての吟詠は舞の詞章、ストーリーを詠ずる伴奏となります。

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吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の衣装と小道具
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は、演劇とは異なり、凝った衣装や化粧などで詩文の世界観を演出することはありません。小道具としては打刀を主に使用しますが、詩文によっては脇指、薙刀、長巻、槍、二刀流などの様々な日本刀(刀剣)や、それに加えて扇や丈(じょう)という長い木の棒を用いることもあります。

吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の流派

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明治末期から大正にかけて、古典芸道である吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)にも次々と流派が誕生しました。新しい流派は、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞(けんぶ)を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様でした。

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現代の吟剣詩舞

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誕生から120余年を経て現在も発展を続けている吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)。今日ではアニメや漫画を題材にした作品や、琴、尺八、三味線などの和楽器での演奏、シンセサイザーの演奏などが加わる演目なども増えてきています。

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吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞を鑑賞できる場所
明治時代、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞の演目

吟剣詩舞の演目
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)が開眼された初期には、藩政時代の大名、学者、江戸末期から明治初期にかけて活躍した学者や軍人の詠んだ漢詩が詞章とされ、吟詠(ぎんえい)、剣舞(けんぶ)で表現されました。水戸藩の2代目藩主「水戸光圀」の詠んだ漢詩「詠日本刀」や9代目水戸藩主「徳川斉昭」作の漢詩「大楠公」は、詩吟や吟剣詩舞の演目として有名です。

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