武士の芸事・吟剣詩舞
吟剣詩舞の流派
武士の芸事・吟剣詩舞
吟剣詩舞の流派

文字サイズ

明治末期から大正にかけて、古典芸道である吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)にも次々と流派が誕生しました。新しい流派は、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞(けんぶ)を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様でした。

日本中に広がった吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)道

1890年(明治23年)、日比野雷風(ひびのらいふう)により創設された神刀流剣武術は、旧薩摩藩出身の有力者他、多くの支持者を得て日本各地に広がりました。

同じ頃土佐の旧大名家、長宗我部家の当主・長宗我部親(ちょうそかべちかし、別名:林馬・りんま、のちに秦霊華・はたれいかと称する)もまた、当家に代々伝わる兵法を取り込んだ吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)の流派・水心流(すいしんりゅう)を創設します。

長宗我部元親

長宗我部元親

長宗我部家には、第12代当主・重親(しげちか)が習得し、以来子孫に伝えられてきた精参流という兵法がありました。その流派名を、戦国の乱世において土佐統一を果たし、一領具足の兵法などで知られる第21代当主・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が1585年(天正13年)に「水心流」と改称したのです。

そして明治初期の長宗我部家当主・親は、水心流を取り込んだ吟剣詩舞を同じく水心流(または弥生流)として開眼。水心流もまた、長宗我部家独自の剣術、居合術の形を舞に取り込んだ剣舞(けんぶ)を、漢詩や和歌の吟詠(ぎんえい)に合わせて披露する吟剣詩舞です。水心流が舞台上でまとう装束も、神刀流剣武術と同様に、紋付、袴に白い鉢巻きなどを使用した、質実剛健な武士の芸道にふさわしいものでした。

水心流がしばしば取り上げた詩文は、上杉謙信武田信玄の攻防を詠んだ「川中島」や、少年兵達の壮烈な戦いを詠う「白虎隊」、子供を捨てなければならない親の悲哀を詠んだ「棄児行」(きじこう)などです。

他の流派と同様に礼節を重んじ、心身の鍛錬を目指そうとする水心流は、長宗我部親の伯父である当時の日本演芸協会会長・土方久元(ひじかたひさもと)子爵(ししゃく)の応援を得て、数年のうちに広まります。そして創立から120年余りを過ぎた今日では、「日本水心流剣詩舞道」として芸道の継承、門下生の育成を推進しています。

神刀流剣武術、水心流が創設された明治半ばには、1894年(明治27年)に日清戦争が、1904年(明治37年)には日露戦争がたて続けに勃発。すると、国民の戦意を高揚させようと剣舞、吟剣詩舞が盛んに開催されるようになり、各地で公演が行なわれ盛況となります。

同じ頃、青少年の教育にも剣舞が採用されるようになり、心身の鍛錬に有益な芸道として盛んに教授され、愛好者の年齢層を広げました。

こうして、明治期に誕生した吟剣詩舞は、瞬く間に日本中に広がり、様々な年齢層の愛好家を獲得したのです。

多彩な吟剣詩舞の流派

明治末期から大正にかけて、剣舞は人々の娯楽、舞台演芸として広く楽しまれるようになります。

当時の世相を記した江戸川乱歩の小説や、新聞記事などには、浅草や各地の繁華街で撃剣興行だけでなく、若い女性が剣舞を披露する「娘剣舞」などが興行され、見物客を集めていた様子が記されています。

芸能ではなく、古典芸道である吟剣詩舞にも、この時期には次々と流派が誕生しました。新しい流派には、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様で、舞の形や作法などを他流派と異なるものとしていました。

日比野雷風の神刀流剣武術の門下生が創設した流派には、柔術などの武術を融合した神武流、神明無双流、神刀無念凱山流をはじめ多数あり、そうした流派から独立して創設された水府新刀流といった新派も記録などには見受けられます。雷風の門下生や孫弟子達が、それぞれ新たな解釈を得て独立した流派を形成したのです。

居合道から立ち上げられた流派には、19世紀半ば、安政時代に端を発するとされる居合道の荒木無人斎流兵法(あらきむじんさいりゅうへいほう)を取り込み、明治初期に荒木流剣舞術として開眼された金房(きんぶさ)流があります。始祖である金房冠一郎(かなぶさかんいちろう、別名・讃岐屋喜三郎さぬきやきさぶろう)は、古武道の荒木無人斉流兵法と歌舞伎舞を融合し、新たな剣舞術、金房流を編み出しました。

乃木希典

乃木希典

金房の金房流は、1882年(明治15年)には神社での奉納公演などで披露されるなどして、着々と発展。その後、1885年(明治18年)には、のちの陸軍大将・乃木希典(のぎまれすけ)に招かれて演舞を披露し、好評を得ます。

さらに1909年(明治42年)、金房は明治天皇の前で日本初の展覧剣舞を披露、大正時代にも天皇の前で展覧剣舞を披露する栄誉を与えられました。東京で活躍したあと、金房は郷土の長崎に戻り、九州館道場を開設。そこで後進の指導、育成に努めました。

金房流剣舞術においても、門下生が新たな流派を創設しました。冠一郎の門下生であった早淵鯉昇は、幼少時より金房冠一郎に師事。1935年(昭和11年)に、冠一郎に許されて神伝真正早渕流剣詩舞道を創設し、流派は今日まで継承されています。

一方、寄席や芝居小屋で剣舞を披露していた剣士の中にも、吟剣詩舞道の流派を創立した人がありました。

宮入清政(みやいりきよまさ)という剣舞の師範が、横浜賑町(現在の横浜市)の喜楽座にて舞を披露したとの記事が1900年(明治33年)2月の時事新報に掲載されています。宮入は至心流(ししんりゅう)という剣舞の創始者です。至心流は明治中期に創立された居合道に基づく剣舞術道であり、現在は日本至心流居合剣詩舞道として門下生を育成しています。

現代の吟剣詩舞

かつては芸能として興行されることも多かった吟剣詩舞ですが、昭和に入ると日本の伝統芸道として発展しました。1963年(昭和43年)には日本吟剣詩舞振興会が発足。吟剣詩舞道の発展は以降促進され、現在も子どもから年配者まで幅広い愛好者達に嗜まれています。

詩舞演者

詩舞演者

流派もさらに増え、振興会のホームページでは様々な流派の演者、吟詠者の素晴らしい舞台や活躍ぶりが紹介されています。また、インターネットの映像投稿サイトでも、大会やコンクール、海外公演の模様など、多くの舞台映像を見ることができます。

海外公演などを通じて、海外で吟剣詩舞を学ぶ人もいて、武士の嗜みから生み出された芸道は、世界中に広がりつつあります。

吟剣詩舞は、かつて青少年の教育科目に採用されたように、流派とは別に、文化教室の教科や学校の部活動に採用されることが多く、今や古典芸道のひとつとして日本人に定着しています。

そして、流派を超えて連携する吟剣詩舞のチームや、門下生とならずとも剣詩舞の体験、レクチャーを受講できるシアターなどが開設され、日本人だけでなく海外からの旅行者にも人気となっています。とりわけ剣舞の体験は、来日する外国人にとって、日本の伝統文化を装束や日本刀(刀剣)、武術の形や舞を通じて体感できる機会として好評です。

また、本来は舞台の演出や装束に多くの制約があった吟剣詩舞ですが、演劇や歌舞伎のように、装束、化粧、大道具を取り入れた、大掛かりで華やかな演目も登場しています。

時流に即し変化してきた吟剣詩舞ですが、その芸道としての本質は今も変わっていません。礼節を重んじる武人の精神性を持ち、古武道の気迫、格調と、詩文の世界を舞と吟詠で伝え得る芸術性の追求という信念が、いずれの流派でも活き続けています。この本質、信念こそが、現代の吟剣詩舞の愛好者を惹きつけ、鍛錬を支える魅力なのです。

吟剣詩舞の流派

吟剣詩舞の流派をSNSでシェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

「武士の芸事・吟剣詩舞」の記事を読む


謡と剣舞:吟剣詩舞とは

謡と剣舞:吟剣詩舞とは
武士の嗜みは剣術、弓術といった武道だけではありませんでした。日本刀(刀剣)を手に舞う「吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)」とは、古武道を芸術に昇華させた芸能であり、武家社会の生み出した舞踊です。

謡と剣舞:吟剣詩舞とは

剣舞とは

剣舞とは
明治期以降に旧武士階級の人々を中心に盛んになった剣舞(けんぶ)。その実践、鍛錬を通じて、青少年の体力はもちろん、精神力の修練も行なえると考えられていました。

剣舞とは

吟剣詩舞の精神

吟剣詩舞の精神
古武道の鍛錬とは、剣術など古武道の技術だけでなく、武術を行なう者=武者としての心構えや精神性も修養することだとされています。剣舞(けんぶ)における演者にとっても、ただその型を真似るのではなく、精神、技術ともに詩の主人公を体現することが優れた表現なのだと考えられています。

吟剣詩舞の精神

吟剣詩舞を確立した日比野雷風

吟剣詩舞を確立した日比野雷風
元治元年(1864)、薩摩国(現在の鹿児島県西部)の刀鍛冶・日比野源道義の息子として生まれた日比野雷風(ひびのらいふう)は、神刀流剣武術と武道の精神を広めるべく日本各地を精力的に訪問し、普及活動を行ないました。

吟剣詩舞を確立した日比野雷風

吟剣詩舞の吟詠

吟剣詩舞の吟詠
幕政時代の末期には、漢詩を教育する際に節を付けて聞かせることが行なわれており、これが吟詠(ぎんえい)、詩吟の原型だと考えられています。吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)においての吟詠は舞の詞章、ストーリーを詠ずる伴奏となります。

吟剣詩舞の吟詠

吟剣詩舞の衣装と小道具

吟剣詩舞の衣装と小道具
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は、演劇とは異なり、凝った衣装や化粧などで詩文の世界観を演出することはありません。小道具としては打刀を主に使用しますが、詩文によっては脇指、薙刀、長巻、槍、二刀流などの様々な日本刀(刀剣)や、それに加えて扇や丈(じょう)という長い木の棒を用いることもあります。

吟剣詩舞の衣装と小道具

現代の吟剣詩舞

現代の吟剣詩舞
誕生から120余年を経て現在も発展を続けている吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)。今日ではアニメや漫画を題材にした作品や、琴、尺八、三味線などの和楽器での演奏、シンセサイザーの演奏などが加わる演目なども増えてきています。

現代の吟剣詩舞

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞を鑑賞できる場所
明治時代、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)は神社での奉納公演、武道場での大会、劇場などで披露されました。また、時の天皇陛下や政治家、軍の高官、外国の来賓、実業家などの主催する舞台などでも吟剣詩舞は披露され、日本武道を礎とする芸道として鑑賞されたのです。

吟剣詩舞を鑑賞できる場所

吟剣詩舞の演目

吟剣詩舞の演目
吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)が開眼された初期には、藩政時代の大名、学者、江戸末期から明治初期にかけて活躍した学者や軍人の詠んだ漢詩が詞章とされ、吟詠(ぎんえい)、剣舞(けんぶ)で表現されました。水戸藩の2代目藩主「水戸光圀」の詠んだ漢詩「詠日本刀」や9代目水戸藩主「徳川斉昭」作の漢詩「大楠公」は、詩吟や吟剣詩舞の演目として有名です。

吟剣詩舞の演目

注目ワード

ページトップへ戻る