刃物の町として全国に知られる岐阜県関市。関に日本刀の本格的な制作技術が伝わったのは鎌倉時代です。当時、刀工達がこの地域に惹き付けられたのは、刀を作るのに理想的な風土条件が揃っていたことが理由のひとつと考えられています。では、日本刀作りにとって理想的な風土条件とはどのようなものだったのでしょうか。かつての岐阜県関市近辺の風土について振り返ってみましょう。
現在の岐阜県関市は、1950年(昭和25年)に市制によって誕生し、翌年から1956年(昭和31年)にかけて下有知村、富野村、小金田村、南武芸村の一部(広見)を編入。そのあとも、いくつかの地域を編入合併して現在の「関市」となりました。そのため、古くから関と呼ばれた地域は、厳密には現在の関市と全く同じエリアを指すわけではありません。
古くから関と呼ばれた地域は、現在の関市より狭いエリア。もともとは、古代の景行天皇が関所を設けたことから、この地が「関」と称されるようになったと伝わっています。関は、長良川に沿っているために水運の便が良く、美濃路、木曽路、奥美濃路が交わる場所であり、交通の要所。さらに、飛騨連山の窓口でもありました。
次に、日本刀作りの基本的な工程をおさらいしてみましょう。
古来の日本刀作りは大きな労力を要するもので、完成までにはたくさんの砂鉄をはじめ、木炭、粘土、水、木といった素材が必要です。
日本刀の主な素材は鉄ですが、古来の刀で用いられていたのは砂鉄。砂鉄を「たたら炉」という炉で熱し、「玉鋼」(たまはがね)を得ることから始めます。
たたら炉とは粘土などで作られた製鉄装置で、たたら炉の中で砂鉄と木炭を一緒に72~74時間ほど熱し、炉の底に溜まった鉄から質の良い物を選りすぐった玉鋼を日本刀の素材とします。
玉鋼
次に玉鋼を高温で熱して鎚(つち)で叩いて伸ばし、板状にし、折り曲げる作業を繰り返します。これを「鍛錬」(たんれん)と呼び、鍛錬を繰り返すことで不純物を叩き出し、粘りや強度を高めていきます。
折り返し回数の少ない刀は固く、鋭利な刃がもろくなる性質があります。
刀の形ができ上がってきたらヤスリをかけ、荒く砥(と)ぎ、次に行なうのが「焼き入れ」です。まず藁灰(あく)で油分を取り除いて水で洗い、刀身に焼刃土(やきばつち)を塗ります。
焼刃土とは、粘土や炭の粉、砥汁の粉などを水で溶いて混ぜた物。この焼刃土を塗った状態で熱し、赤くなった刀を適温の水に投入。すると、薄い刃先はすぐに冷えて硬くなり、棟に近い厚みのある部分はやや遅れて冷えるので適度な柔軟性を持たせることができます。
焼刃粘土によって刃文(はもん)が描かれますが、刃文の模様は職人によって様々で、その日本刀の美しさを決める要素でもあります。焼き入れのあと、焼刃調べ、砥ぎ、茎仕立てなどの工程を経て日本刀が完成します。
知識などをその場しのぎで一時的に覚えることを指す言葉として、「付け焼刃」ということわざがあります。これは日本刀作りの焼刃に由来するもの。焼刃のない質の悪い刀に、ごまかしの刃文を付けたことに由来します。
また、「相槌を打つ」(あいづちをうつ)という言葉も、刀を作るときに師の打つ鎚に合わせて弟子がすかさず鎚を打つ、という動作に由来します。
このようなことわざが生まれるほど、本来の日本刀作りは労力と時間を要するものなのです。
ここまで、関の風土と日本刀作りの工程を見直しました。照らし合わせると、関は日本刀作りに必要な素材の多くが入手しやすい環境にあったと容易に想像できます。
かつて鎌倉時代には、鍛冶師は良質の焼刃土や炭、水を探して、日本各地を渡り歩いたと考えられています。こうした鍛冶師のなかに、関鍛冶の元祖である刀工「元重」という人物がいました。元重はこの関の風土に惹かれて他地域から移り住み、岐阜県関市における刃物産業の隆盛につながる礎を築いたのです
「日本の郷土産業3 中部・北陸」(新人物往来社)によると、昔の岐阜県は刀の焼き入れに使う焼刃土の粘土を産出する地域でもありました。
焼刃土はサビが出ない、乾いてもはがれない、焼き入れ中にはがれない、などの目的を持って刀工が各自の製法に合わせて調合。関の刀工達も産出された粘土を独自の配分で調合し、焼刃土にして使っていたと考えられます。
日本刀作りの工程で、熱するときには木炭を使います。これも飛騨連山を背景に持つ関の地では、豊富に入手できる素材でした。
たたら炉を使って刀を作るには、木材は砂鉄の次に重要な材料とも言われます。鎌倉時代に関に刀剣職人が移住してきたのは上質な炭があったからではないか、とも推察されているほどです。
たたら炉で熱したり、鍛錬するときに使われたりする木炭は「たたら炭」と呼ばれます。たたら炭は、1200~1300度という高温を生み出すことができる松炭が最適です。
松炭
初めに玉鋼を取り出すたたら製鉄に使ったり、日本刀の鍛錬に使われたりするのが松炭。
黒炭の火付きが良く、燃焼性が高いのが特徴。製鉄には欠かせない燃料です。たたら炉に使うときには、2~3センチ角程度に切りそろえられて使われます。
松炭は、鎌倉時代からの関鍛冶の技を今に伝える施設「関鍛冶伝承館」(岐阜県関市)でも展示されているので、実際に目にすることができます。
長良川
昔も今も、岐阜県関市には長良川と津保川(つぼがわ)が流れています。
津保川は長良川の支流。かつて日本刀作りの技術が伝わった鎌倉時代から、この2つの川は刀鍛冶に注目されていました。
日本刀制作の工程では水が使われます。特に、焼き入れをするときの水は重要です。焼刃土を塗って熱した刀は、湯舟(ゆぶね)という場所に溜められた水に投入して冷やすのですが、その温度や性質は各派で秘伝とされたほど。
このように日本刀作りにおいて肝となりうる水ですが、関には日本刀作りに適する水が取れる津保川がありました。
関周辺には長良川と津保川があり、水運に恵まれたことも関の刀剣産業に寄与しました。日本刀作りに必要な豊富な水量が確保できたこともポイントです。