本刀は、備前国(現在の岡山県東部)で活動した刀工一派「長船派」の名工「長義」(ちょうぎ/ながよし)の門人「兼長」が作刀した打刀です。兼長は、師・長義と同様に沸強く華やかな相伝備前の作風で、名刀を世に送り出した名工として知られています。
本刀は、身幅広く鋒/切先(きっさき)延びた南北朝時代の姿態を呈し、板目肌流れごころに地沸ついた地鉄(じがね)に、小湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)や丁子(ちょうじ)が交じり、足・葉よく入り、金筋・砂流し盛んに入る刃文は、まさしく相伝備前の出来口であり、師である長義の作よりも技巧的な1振です。
なお、茎には1686年(貞享3年)7月に「本阿弥光常」により極められた兼長の銘と、折紙が附帯していたことが金粉銘で入れられています。