「後藤正宗」は、江戸幕府の御金改役(ごきんあらためやく)だった「後藤光次」(ごとうみつつぐ)が所持していたとされる日本刀。後藤光次は、「後藤庄三郎」(ごとうしょうざぶろう)という名前でも知られ、金貨の鋳造などに従事し、江戸幕府による貨幣制度の創立にも大きな役割を果たしたとされる人物です。
この日本刀は「正宗」と呼ばれていますが、当初は大磨上げされた無銘の作でした。そこで日本刀鑑定家「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)に依頼。その結果、相模国(現在の神奈川県)正宗作であると認められ「本阿弥光徳(押花)」、「正宗磨上」と金象嵌で銘を刻んだことがはじまりです。
そののち後藤光次へと売却しています。そして、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」のあと、後藤光次は2代将軍「徳川秀忠」へと後藤正宗が献上。理由としては、「関ヶ原の戦い」の戦勝祝いであったと考えられます。
1632年(寛永9年)に徳川秀忠が亡くなると、形見分けとして加賀藩2代藩主「前田利常」(まえだとしつね)へ下賜。これ以降、後藤正宗は前田家に伝わる日本刀となりました。