「切刃貞宗」は、切刃造り(きりはつくり)という形で作られている刃長約72cmの刀剣です。「豊臣秀吉」が所持していましたが、「前田利家」から「福島正則」へ伝来したと言います。
1624年(寛永元年)に、切刃貞宗を所持していた福島正則が死去。死後は、江戸幕府の検死役を待たなくてはいけなかったのですが、その前に家臣「津田四郎兵衛」(つだしろうべえ)が無断で火葬。そのため、江戸幕府から20,000石あった所領をすべて没収されてしまいました。
福島正則の子「福島正利」(ふくしままさとし)は、徳川3代将軍「徳川家光」への取り成しを求めて、徳川家光の弟「徳川忠長」(とくがわただなが)に切刃貞宗を奏上。これが奏功し、福島家は3,000石余の旗本(10,000石未満の武士)として、存続を許されることになりました。
その後、切刃貞宗は紀州徳川家へと下賜。さらに1697年(元禄10年)に紀州藩3代藩主「徳川綱教」(とくがわつなのり)が、徳川5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)に切刃貞宗を献上したことで、切刃貞宗は再び将軍家の所有物となったのです。現在は、重要文化財の扱いとなり、「東京国立博物館」(東京都台東区)が切刃貞宗を所蔵しています。