イランの民俗舞踊は、地方ごと、民族ごとに少しずつ異なります。民俗舞踊の種類には、宮廷で舞われた洗練された舞と、生き生きとした民衆の舞踊があり多種多様。その中で、戦争・戦闘を表現する踊りは戦いの様子を舞で表現するものであり、かつては戦闘訓練として採用された舞踊です。
イランの国旗
世界有数の原油産出国、イラン・イスラム共和国(以降、イラン)はイスラム共和制国家です。イラン高原には古くから人類が生活しており、約10万年前の旧石器時代の遺跡が確認されました。紀元前3000年頃には、エラム人がこの地に王朝を建設したことが歴史文献などで確認できます。
そして紀元前2000年末頃、遊牧民であるアーリア人がイラン高原に移動し定住すると、エラム人などの非アーリア系の民族はアーリア人に同化。以降はアーリア人の王朝が統治を行ないました。
紀元前550年頃には、当時領地を拡大していたキュロス大王がこの地を征服してペルシア帝国を建国。ペルシア帝国は、古代オリエント文明を統一した国家であり、ゾロアスター教を国教とする大国でした。その後もイラン高原には様々な王朝が君臨し、オリエント文明が栄えます。
「不死隊」の兵士
建国された当時のペルシア帝国には、「不死隊」という10,000人ほどの兵士から成る精鋭部隊が存在しました。多民族から成る不死隊は、民族ごとに鎧や盾、刀剣や槍といった異なる装備を身に付けており、ひとりが倒れてもすぐに違う兵士が持ち場に現われるため、他国の兵士に恐れられていたのです。
しかし、7世紀に入るとペルシア帝国はアラビア半島に興ったイスラム勢力との戦いを繰り返し、敗北。以降は、イスラム国家がイラン高原一帯を統治しました。
現在のイランは、1979年のイラン・イスラム革命により、宗教上の最高指導者が国の最高権力を有するイスラム共和制国家です。
緑と白、赤の3色で構成されるイランの国旗の中央には、4つの三日月とサーベルから成る国章が描かれています。
4つの三日月はイスラム教の唯一神、アッラーの言葉を象徴しており、4つの三日月とサーベルという5つの要素は、イスラムの5原則を象徴するものです。サーベルの上には、Wに似たアラビア文字「タシュディード」が記されており、タシュディードとは、アラビア語で子音が重複していることであり、サーベルの力が二重であることを示しています。国章の上下には、イスラム教の聖句である「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と言う言葉が綴られています。
サーベルとは片刃の長剣であり、湾曲しているので斬りつけに適した刀剣です。イランでは、古代から青銅、鉄などの採掘と鋳造とともに刀剣の製造が行なわれており、約3000年前には北部で採掘された青銅と鉄を鋳造したバイメタル剣が作られました。以降もイラン国内各地では、優れた刀剣や甲冑(鎧兜)などが製造されました。
現在のイランには、多様な民族が暮らしており、使用する言語もイラン系言語やペルシア語、アゼルバイジャン語をはじめ様々です。
イスラムの共和制国家であるため、国民の多くはイスラム教徒ですが、キリスト教徒やユダヤ教徒、ゾロアスター教徒もいます。
文化的には、古くから文明が発展した地であるため、イランでは独自の美術や音楽、文学、詩、哲学、思想などが育まれ、今日まで伝承。また、ユネスコに登録された文化遺産は22にも上り、自然遺産も1ヵ所登録、無形文化遺産は13登録されており、工芸技術、祭祀、民俗芸能と多岐にわたります。
イランの民俗芸能には多種多様な表現が統合されていて、各地方の住民によって保存され、継承されてきました。
タァズィーエ
イランの無形文化遺産のひとつに「タァズィーエ」という、国民的な宗教的演劇があります。タァズィーエとは、「親しかった故人を偲んで催す儀式」という意味であり、伝統をもつ儀式芸能。演劇的な情景の表現を音楽に乗せて披露するもので、詩歌や散文を融合した芸能です。
イランにはタァズィーエの他にも儀式と、それに伴う芸能が多く残されています。
イラン南部、ホルモズガーン州には「レズィーフハーニー」というこの地方独特の海上儀式が残されています。
この儀式は航海を表現しており、音楽や舞踊を通じて航海の魅力や苦難を観る人に伝えます。レズィーフハーニーはかつて、舞い手が剣(けん・つるぎ)を振りかざして雄々しく踊るものでしたが、現在では竹の棒を使用して踊られるようです。
レズィーフハーニーのもうひとつの魅力は、とても美しい音楽であり、15~20人ほどで構成された楽団は、歌詞を朗詠しながら楽器を奏でます。歌詞に加えて、イスラムの預言者であるムハンマドとその弟子への祝福を祈願。レズィーフハーニーは、地域の人々の団結を強めるために催される儀式であり、人々が楽しむ祭礼でもあるのです。
ホルモズガーン州には他にも、伝統儀式や慣行とされている儀礼が残されています。いずれもペルシア湾に関連した古くからの文化に根差しており、現代まで継承されてきたものです。
一方、ユネスコの無形文化遺産に登録されているイランの民俗芸能で、イラン最古の民俗舞踊のひとつ「トルハデ・ジャーム」は、北東部の文化を継承する舞踊です。
トルハデ・ジャームは、「チューブ・バーズィー」という棒踊りであり、舞い手である男性は棒を持ち、英雄の叙事詩を音楽と演劇的な要素を含んだ舞で披露します。舞い手が使用する棒は剣や武器を表しており、棒の扱い方で英雄の闘いぶりを表現しているのです。
トルハデ・ジャームはひとりの舞い手が舞うものと、2人で舞うものがあります。2人で舞うトルハデ・ジャームは、各々棒を手にした舞い手が戦うように踊るのが特徴です。
イランの民俗舞踊は、地方ごと、民族ごとに少しずつ異なります。民俗舞踊の種類には、宮廷で舞われた洗練された舞と、生き生きとした民衆の舞踊があり多種多様です。
イランの民俗舞踊は、「複数で踊るもの」、「ひとりの舞い手が踊るもの」、「戦争・戦闘を表現する踊り」、「儀式や精神を表現する踊り」の4つのカテゴリに分けられます。
その中で、戦争・戦闘を表現する踊りは戦いの様子を舞で表現するものであり、かつては戦闘訓練として採用された舞踊です。
イランには、古代からズールハーネという男性が肉体と精神の鍛錬を行なう、道場のような施設があります。ズールハーネでの鍛錬や、精神性もまた、ユネスコの無形文化遺産となっており、ズールハーネで行なう鍛錬の一部は民俗舞踊に取り込まれているほど。
シャムシールの踊り
そして、イラン南東部のスィースターン・バルーチェスターン州に伝わる舞踊「シャムシールの踊り」は、剣を使用した戦争・戦闘を表現する踊りです。
スィースターン・バルーチェスターン州は、パキスタン、アフガニスタンと国境を接しており、青銅器時代から、イスラム化されていないジーロフト文化と呼ばれる文明が育まれた地域です。
シャムシールの踊りもまた男性が舞うもので、戦闘能力を高める訓練でもあり、舞い手は踊りを通じて、自らの身体能力と武術の腕を披露しました。舞い手は民族衣装をまとい、刃幅が細くて長い片刃の剣・シャムシールを掲げ、向かい合いながら音楽に合わせてステップを踏みます。ときには剣を肩に乗せ、向かい合って剣を交し、掲げて円になるなど軽快に踊るのが特徴です。
武術訓練として、民俗舞踊として、イランでは剣の舞が、現在も次代に継承されています。