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江戸時代 前期
まえだとしいえ ぞう 前田利家 像 /ホームメイト

本絵画は、尾張国(現在の愛知県)出身の戦国武将で加賀藩(現在の石川県と富山県)「藩祖」とされる「前田利家」(まえだとしいえ)の肖像画。
前田利家ははじめ、「織田信長」(おだのぶなが)に仕えて幾度もの合戦に参加し、武功を積み重ねて織田家の主要な家臣に成長します。
1581年(天正9年)には能登国(現在の石川県北部)の支配を任され、織田信長の死後は、同じくその家臣で友人だった「羽柴[豊臣]秀吉」(はしば[とよとみ]ひでよし)に従うように。
豊臣秀吉の晩年には、「徳川家康」(とくがわいえやす)、「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)、「毛利輝元」(もうりてるもと)、「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)とともに「五大老」(ごたいろう)として政治を支えます。
領地も能登国だけでなく、加賀国(現在の石川県南部)や越中国(現在の富山県)までに拡大し、「加賀百万石」の基礎を築いたのです。
本絵画中の前田利家は、布袴(ほうこ)という装束を着て上畳(あげだたみ)に座りますが、上畳には繧繝縁(うんげんべり)と呼ばれる、天皇や上皇、神仏のみが使用できた最上級の縁が付けられています。このことから、前田利家を死後に神格化して描いたものと分かります。
江戸時代の加賀藩において前田利家は藩祖として崇敬され、現在も石川県内の寺社や旧家などに、本肖像画と類似した構図や顔付きの前田利家像が伝わります。
本肖像画も礼拝のために制作されたと考えられます。
