日本庭園は、日本で造られた和風庭園全般を指します。平安時代に広く普及し、「寝殿造庭園」(しんでんづくりていえん)や「浄土式庭園」(じょうどしきていえん)、「枯山水」(かれさんすい)など、時代に応じて様々な形式が誕生しました。いずれも自然美を表現していることが大きな特徴です。具体的な庭園の種類をはじめ、それぞれの特徴や魅力、日本庭園と西洋庭園の違いについても解説します。
日本庭園は、時代ごとの代表的な思想や文化を反映しながら発展しました。もともとは中国大陸から造園文化が伝来し、日本に定着。その後、平安時代に貴族達が自邸に庭園を造成したことで普及しはじめ、現在知られる日本庭園の原型が生まれたのです。また、平安時代末期に書かれたとされる「作庭記」(さくていき)により、日本庭園の様式が体系化。以降の日本庭園造りに多大な影響を及ぼしました。平安時代から江戸時代にかけての、日本庭園の歴史を深掘りします。
日本庭園を構成する要素のうち、最も大切とされているのが「水」、「石」、「植栽」(しょくさい)、「景物」(けいぶつ)の4つです。作庭家は、この4大要素が持つ役割や意味を踏まえながら、日本庭園の全体像を設計します。また、日本庭園には大きく「池庭」(いけにわ)、「枯山水」(かれさんすい)、「露地」(ろじ)の3つの分類が存在。それぞれの要素と様式に着目して、庭園鑑賞をより深く楽しんでみましょう。
「石」は、日本庭園における構成要素のひとつです。その配置や形状に深い意味を持ち、自然の風景、仏教的な思想を象徴するだけではなく、庭の美しさや静けさを高める重要な役割を担っています。また、石は、精神的な安らぎや思索を促す物としても機能。日本庭園を鑑賞する人々に深い感動を与えています。「日本庭園の構成要素『石』」では、石の役割や種類、基本的な配置パターンを解説しましょう。
「水」は、日本庭園における構成要素のひとつです。庭の風景に潤いや動きを加えるだけではなく、自然との調和や精神的な安らぎをもたらす重要な役割を担っています。また、池や流れ、滝といった水の演出は、四季の移ろいを象徴的に映し出し、庭全体に奥行きと静けさを提供。訪れる人々に、深い癒しと瞑想的なひとときを与えてくれます。「日本庭園の構成要素『水』」では、日本庭園における水の 役割や種類、基本的な演出方法などを詳しくご紹介しましょう。
「植栽」(しょくさい)は、日本庭園を構成する要素のひとつで、樹木、草花、苔などの植物を配置・管理することを指します。庭園に季節の植物を取り入れることで、四季の美しさを表現。また、配置する植物の高さや色彩にこだわれば、視覚的に奥行きを感じさせることができます。「日本庭園の構成要素『植栽』」では、日本庭園における植栽の役割はもちろん、代表的な植栽、配置方法などについて、詳しく解説しましょう。
「石灯篭」は石で作られた灯篭で、日本庭園を構成する重要な要素として用いられています。「灯」(ひ)の「篭」(かご)という言葉が語源で、かつては、夜間に灯火を灯すための道具でした。時代の流れにより、石灯篭は、単に照明器具だけではなく、日本庭園の景観を引き立てる装飾的な存在としても重視されるように。「日本庭園の構成要素『石灯篭』」では、日本庭園における石灯篭の役割や代表的な種類をご紹介しましょう。
「橋」は、池や小川を渡るための移動手段としてだけではなく、庭園の景観を構成する重要な要素です。庭園内に橋を設けることで、風景に変化が生まれ、訪れる人に季節の移ろいや自然との調和を感じさせることができます。「日本庭園の構成要素『橋』」では、日本庭園における橋の役割や種類、橋のある代表的な日本庭園をご紹介しましょう。
日本庭園の美しさは、作庭家による緻密な設計や意図によって表現されています。構図や遠近感を考慮するだけでなく、池泉や「石組」(いしぐみ:石を組み合わせて配置すること)に意味をもたせている庭園も多いのです。日本庭園の構成や配置に注目し、庭園に隠された様々な意味や工夫について見てみましょう。
「石庭」(せきてい/いしにわ)は、日本庭園の一形式であり、石や砂、苔などを用いて自然の風景を抽象的に表現した庭園です。特に、「龍安寺」(りょうあんじ:京都市右京区)の石庭(せきてい)は、世界的に知られています。石庭の特徴や枯山水との違い、さらに龍安寺の石庭の魅力について詳しく解説しましょう。
日本庭園の発展は、各時代に活躍した作庭家の試行錯誤によって推し進められました。禅僧で歌人でもあった作庭家「夢窓疎石」(むそうそせき)、「露地」(ろじ:茶庭[ちゃてい]とも言う)を生み出した「千利休」、「綺麗寂び」と呼ばれる洗練された美意識を追求した「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)などが、庭園文化を牽引。また、明治時代以降は「小川治兵衛」(おがわじへえ)、「重森三玲」(しげもりみれい)、「飯田十基」(いいだじゅうき)らが独自の境地を切り拓きました。日本庭園史を語る上で欠かせない6名の生涯と、手がけた庭園の特徴を紹介します。
鎌倉時代末期から室町時代を生きた禅僧「夢窓疎石」(むそうそせき)は、日本最古の作庭家と言われることもある人物です。庭園の外に広がる風景を「借景」(しゃっけい)として活用するなど、新しい作庭技術を考案。日本庭園のみならず、日本人の美意識にも大きな影響を及ぼしました。夢窓疎石が造り上げた日本庭園は、数多く現存しています。夢窓疎石の人物像と、代表的な作例について見ていきましょう。
日本庭園の三大様式のひとつ「露地」(ろじ:茶庭[ちゃてい]とも言う)の原型を生み出したのは、安土桃山時代に活躍した茶人「千利休」です。「侘び茶」(わびちゃ)を普及させながら多くの茶室や露地を手がけ、茶の湯のみならず日本庭園の在り方にも大きな影響を及ぼしました。しかし、千利休が手がけた庭園のうち、現存しているものは少数です。千利休の作庭とされている「大徳寺 黄梅院庭園」(だいとくじ おうばいいんていえん)について、千利休の生涯などとともに解説します。
江戸時代に入ると多くの大名庭園が造られるようになり、日本の造園技術は飛躍的に向上しました。その先駆けとなった人物が、作庭家であり大名茶人の「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)です。「綺麗さび」と呼ばれる美意識を重視し、その作風は江戸時代に隆盛した「後期式枯山水庭園」(こうきしきかれさんすいていえん)にも影響を及ぼしました。小堀遠州の生涯や作風、小堀遠州が手がけた代表的な日本庭園を7つ紹介します。
明治時代から大正時代にかけて活躍した作庭家「小川治兵衛」(おがわじへえ)は、日本庭園の新たなスタイルを生み出した人物です。「植治」(うえじ)の通称で知られ、主に水の流れや植栽で手腕を発揮。それまで日本庭園には用いられてこなかった雑木や雑草なども活かして、次々と独創的な庭園を造り上げました。また、西洋庭園の要素をいち早く取り入れたことでも知られています。小川治兵衛が手がけた代表的な日本庭園5つについて、小川治兵衛の生涯や、各庭園の特徴などとともに見てみましょう。
昭和時代に独創的な日本庭園を数多く手がけた「重森三玲」(しげもりみれい)は、枯山水庭園を復興させた人物です。日本画や茶道、華道への造詣を活かし、モダンを取り入れた作風を生み出しました。また、既存の日本庭園を徹底的に調査し、庭園研究家としても活躍。重森三玲の生涯とともに、重森三玲が手がけた代表的な日本庭園を5つ見てみましょう。
大正時代から昭和時代にかけて活躍した作庭家「飯田十基」(いいだじゅうき)は、「雑木の庭」(ぞうきのにわ)と呼ばれる独自の様式を生み出した人物です。気取りのない身近な樹木を用いて、里山の雑木林を思わせる景観を作り出しました。飯田十基の生涯や、雑木の庭の特徴、代表作として知られる「等々力渓谷公園 日本庭園」(とどろきけいこくこうえん にほんていえん:東京都世田谷区)の意匠や見どころについて解説します。
長州藩(現在の山口県萩市)の下級武士の家柄出身で、明治時代に2度も内閣総理大臣を務めた「山県有朋」(やまがたありとも)は、日本庭園に縁の深い人物でした。自分で築庭計画を立案した「椿山荘」(ちんざんそう:東京都文京区)や「無鄰菴」(むりんあん:京都市左京区)、「小田原古稀庵」(おだわらこきあん:神奈川県小田原市)などは、近代日本庭園の傑作として知られています。山県有朋の生涯と、代表作と称される3つの庭園について見てみましょう。
江戸時代に参勤交代の制度が誕生すると、日本各地の大名は、江戸に屋敷を持つようになりました。江戸幕府へ歯向かう意志がないことを示したり、将軍の来訪に備えたりするため、大名達は軍事費を投入して庭園を造設。庭園の豪華さで威信を示そうと、競うように豪華絢爛な「大名庭園」(だいみょうていえん)を造ったのです。その数は江戸だけで1,000を超え、江戸の面積の半分が庭園だったとも言われます。現在の東京に残る大名庭園のうち、代表的な5つについて見てみましょう。
平安時代に「寝殿造庭園」(しんでんづくりていえん)が誕生して以降、京都は全国でもっとも日本庭園が造られる地となりました。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて「夢窓疎石」(むそうそせき)が作庭技術を体系化すると、従来主流の池を中心とした池泉庭園のみならず、「枯山水庭園」(かれさんすいていえん)も登場。やがて作庭の技術や意匠は、京都が発信拠点になったのです。そのため、現在世界遺産や国の名勝に指定されている名庭の数は、京都が群を抜いています。京都にある有名な日本庭園5つについて、特徴を見てみましょう。
愛知県には、多彩な日本庭園が集まっています。特に充実しているのは名古屋市周辺で、その多くは施設の面積が広く、園内を歩いて巡れる回遊式庭園です。いずれも、季節によって色を変える落葉樹を活かした造りで、四季折々の景観を楽しめます。愛知県にある代表的な日本庭園5つについて、それぞれの特徴を見てみましょう。
「龍安寺」(りょうあんじ)は、京都市右京区に位置する禅宗の寺院です。室町時代に創建された龍安寺は、「石庭」(せきてい)や「枯山水」(かれさんすい)の庭園で知られており、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録。また、龍安寺は、その庭園における特殊な設計から、「謎多き世界遺産」と呼ばれることもあります。龍安寺について解説するとともに、「謎が多い」と言われている理由などもお伝えしましょう。
東北地方では、「上方」(かみがた:関西地方)や江戸の流行を取り入れた大名庭園が多く作庭されました。独自性よりも流行の最先端を取り入れた作庭が多く、江戸時代の文化が今なお色濃く残っています。東北地方を代表する大名庭園である、「旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)」(きゅうあきたはんしゅさたけしべってい[じょしてい])、「旧南部氏別邸庭園(盛岡市中央公民館)」(きゅうなんぶしべっていていえん[もりおかしちゅうおうこうみんかん])、「南湖公園」(なんここうえん)、「会津松平氏庭園 御薬園」(あいづまつだいらしていえん おやくえん)について見てみましょう。
かつて日本全国で最も多く大名庭園が集まっていた地方が、江戸を中心とした関東地方です。地形を活かして造られた大名庭園が多く、敷地面積も広大で、それぞれ独自性に富んでいます。現在まで関東地方に残る大名庭園「楽山園」(らくさんえん)、「駐日イタリア大使館」(ちゅうにちいたりあたいしかん)、「肥後細川庭園」(ひごほそかわていえん)、「清澄庭園」(きよすみていえん)の4ヵ所を見てみましょう。
近畿地方の大名庭園は、周囲の借景を取り込むことで景観の連続性を表現したり、地域で産出される石材をふんだんに使用したりと、立地を活かした作庭が数多く見られます。近畿地方を代表する大名庭園である、「玄宮園」(げんきゅうえん)、「養翠園」(ようすいえん)、「和歌山城西之丸庭園」(わかやまじょうにしのまるていえん)、「旧赤穂城庭園」(きゅうあこうじょうていえん)の4ヵ所について見てみましょう。
中国地方の大名庭園には、豊かな水量を活かした作庭が数多く見られます。池泉を中心に、滝や小川を配置することで山水を表現。水景を際立たせるための意匠を随所に盛り込むことで、より多角的に楽しめる景観が造り上げられているのです。また、戦いなどが起こったために、防御施設として機能するよう設計された庭園も多く、名残を見ることもできます。中国地方を代表する大名庭園である、「後楽園」(こうらくえん)、「衆楽園」(しゅうらくえん)、「縮景園」(しゅっけいえん)について見ていきましょう。 枯山水水を一切使わず砂や石だけで山や水の景色を表現した日本庭園の「枯山水」を紹介します。 水を一切使わず砂や石だけで自然の景色を表現した「枯山水式」の城郭・城跡庭園を一覧でご紹介します。 全国にある城郭・城跡 庭園を一覧でご紹介します。 露地の魅力と有名な庭園「露地」(ろじ)は室町時代、茶の湯の発展とともに生み出された三大様式のひとつです。
九州地方は、江戸時代に江戸幕府の影響が及びにくかったため、全国の他の地方に比べると大名庭園が少ない地域です。大名庭園には、江戸幕府への服従を示すために軍事費を投入して造られた背景がありますが、九州地方は江戸幕府からの干渉が少なかったため、他の地方の豪奢な庭園とは少し異なるのが特徴。九州地方を代表する大名庭園である、「松濤園」(しょうとうえん)や「水前寺成趣園」(すいぜんじじょうじゅえん)、「仙巌園」(せんがんえん)について見てみましょう。日本三名園の解説とともに、観光名所として有名な日本三名園の特徴をはじめ、見どころもご紹介します。 城郭・城跡にある池泉回遊式庭園を一覧でご紹介します。 全国にある城郭・城跡 庭園を一覧でご紹介します。
「徳川御三家」(とくがわごさんけ)とは、徳川将軍家に次ぐ家格をもち、徳川の名字を名乗ることが許されていた3つの分家である「尾張徳川家」(おわりとくがわけ)・「紀州徳川家」(きしゅうとくがわけ)・「水戸徳川家」(みととくがわけ)のことです。いずれの藩も、初代藩主は「徳川家康」の息子。「親藩」(しんぱん:徳川家の子弟が大名になった藩)の最高位として君臨していたため、自邸に備わる大名庭園も壮麗な造りでした。徳川御三家が作庭した4つの代表的な大名庭園を紹介します。
「知覧武家屋敷庭園」(ちらんぶけやしきていえん)は、江戸時代に薩摩藩(さつまはん:現在の鹿児島県)によって整備された、武家屋敷群の庭園です。江戸時代の庭園文化を知る上で貴重な存在として、国の名勝に指定されました。「鹿児島・知覧町の『知覧武家屋敷庭園』」では、一般公開されている7つの知覧武家屋敷庭園について、特徴をはじめ、各庭園や周辺の見どころをご紹介します。
「灯篭」(灯籠)は、日本の伝統的な照明器具として知られています。読み方はいずれも「とうろう」。主に石、木、金属などで作られており、内部にろうそくや電球を置いて、明かりを灯す仕組みです。灯篭(灯籠)は、夜間の道を照らすだけではなく、神社や寺院、日本庭園にも使用され、それぞれ重要な役割を果たします。「灯篭(灯籠)とは」では、灯篭と灯籠の意味の違いをはじめ、歴史や役割などを解説。また、日本で有名な灯篭(灯籠)をご紹介します。
「灯籠」(とうろう)は、古くから、神社仏閣や庭園、茶室などに設置されてきました。その語源は「灯」(ひ)の「籠」(かご)という漢字から成り立ち、「火を収める籠」という意味を持ちます。この言葉が示す通り、灯火を安全に保つための道具ですが、信仰や美意識とも深く結び付いており、日本文化の中で独自の発展を遂げてきました。「灯籠の歴史」では、灯籠の歴史について詳しくご紹介しましょう。
「灯籠」(とうろう)は、「灯篭」・「燈籠」・「燈篭」とも書きます。常用漢字を使う場合は「灯籠」と書くのが一般的ですが、「灯篭」・「燈籠」・「燈篭」とは、灯籠の形状によって微妙な意味の違いもあるのです。灯籠の表記ごとの違いと、灯籠と間違えやすい「提灯」(ちょうちん)・「行燈」(あんどん)について解説します。
「灯籠」(とうろう:灯篭・燈籠・燈篭とも書く)が日本庭園に置かれているのには、様々な理由があります。景観を美しくすることや、周囲を明るく照らすこと、さらには縁起を担いで設置されることもあるのです。日本庭園では屋外に飾られるため、灯籠の中でも特に風雪に強い石灯籠を用いるのが一般的。石灯籠は素材の性質上重厚な造りが多く、庭園の景観にも大きく影響します。庭に灯籠を置く理由、縁起物としての灯籠の役割、風水とのかかわりについて見てみましょう。
「日本三大灯籠」とは、江戸時代に「信濃国長沼藩」(しなののくにながぬまはん:長野県長野市)の初代藩主「佐久間勝之」(さくまかつゆき)が奉納した石灯籠のことです。これらの灯籠は、「熱田神宮」(あつたじんぐう:愛知県名古屋市熱田区)、「上野東照宮」(うえのとうしょうぐう:東京都台東区)、「南禅寺」(なんぜんじ:京都府京都市左京区)に現存しており、壮麗な姿で訪れる人々を魅了しています。「日本三大灯籠とは」では、日本三大灯籠について、特徴や見どころを詳しく解説しましょう。