神話のふるさととして知られる出雲をはじめ中国地方では様々な神楽が伝承されています。出雲地方から全国に広まった神楽の一派・出雲神楽について、また出雲神楽の流れをくんだ石見神楽について取り上げながら郷土芸能の魅力をご紹介します。
出雲神楽「佐陀神能」
神楽の始まりは神話時代にまでさかのぼり、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸にお隠れになったときに、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が舞い踊ったのが始まりと言われています。
現在、全国各地に様々な神楽が伝承されており、いくつか流派がある中のひとつが出雲神楽です。
伊勢神楽と並んで一大流派となっており、出雲神楽の流れを汲んだ神楽が中国地方や九州地方を中心に全国各地の様々な神楽で見られます。
出雲神楽とは、島根県松江市鹿島町にある佐太神社(さだじんじゃ)の神事で行なわれる神楽の様式がもとになっており、佐太神社の神楽「佐陀神能」(さだしんのう)の名で国の重要無形民俗文化財に指定され、2011年(平成23年)にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。
出雲神楽は、刀剣や御蓙(ござ)、榊(さかき)などを手に持って舞う採物舞(とりものまい)と、神話などを脚色した神が主役の舞である神能(しんのう)を組み合わせたもので、採物舞に特色があります。
前段の採物舞は面を付けずに道具を持って舞うもので、剣舞(けんまい)、散供(さんぐ)、御蓙、清目(きよめ)、勧請(かんじょう)、八乙女、手草(たぐさ)の7曲あります。
続いて能楽の影響を受けた祝いの舞である式三番(しきさんば)、そして後段の神能は、八重垣、大社(おおやしろ)、日本武(やまとだけ)、三韓(さんかん)、八幡(やわた)、切目(きりめ)、岩戸(いわと)など12曲の神楽が行なわれます。
出雲神楽(佐陀神能)は佐太神社に出雲近辺の神職が集まって務めただけでなく、それぞれの神職がつかさどる神社でも舞われました。そのため出雲一帯から中国地方全般広がり、やがては全国へと伝わっていきました。
例えば中国地方の出雲(島根県東部)では雲南市の大原神職神楽、飯南市の奥飯石神楽、石見(島根県西部)では大元(おおもと)神楽、石見神楽、岡山県西部では備中神楽、荒神神楽、神殿(こうどの)神楽、隠岐(おき)の隠岐神楽などに出雲神楽の特徴が表れています。
ちなみに出雲神楽と並んで一大流派とされる伊勢神楽とは、伊勢神宮で古くから行なわれていた巫女による神楽がもとになっているとされています。
旧暦11月(霜月)に行なうことが多く霜月神楽とも、また場を清める方法として湯立て(ゆだて:みそぎの一種。神前に大釜を据えて湯を煮えたぎらせ、笹や幣串(へいぐし)をその湯に浸して周囲の人々に振りかけるもの)をする特徴から湯立神楽とも呼ばれます。
伊勢神楽は秋田県や愛知県、長野県に分布する他、関東にも伝わっており、それらの地域では伊勢神楽の流れをくんだ湯立てが中心の神楽が見られます。
出雲神楽の流れをくんでいるとされる島根県西部の石見神楽も、採物舞により場を清めて神を迎える準備をします。
島根県浜田市内では秋になると各町の神社で秋祭りがあり、前夜祭には夜通しで石見神楽が舞われています。
また、石見神楽は近隣での温泉や日本全国、そして世界各国のイベントでも出張上演をしており、日本文化を世界へ広める活動をしています。
石見神楽の演目は全34曲で、夜通し舞うほどの内容量です。
石見神楽の演目(34曲) | |||
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鈴神楽 (すずかぐら) |
塩祓 (しおはらい) |
真榊 (まさかき) |
帯舞 (おびまい) |
神迎 (かんむかえ) |
八幡 (はちまん) |
神祇太鼓 (じんぎたいこ) |
かっ鼓 (かっこ) |
切目 (きりめ) |
道がえし (どうがえし) |
四神 (よじん) |
四剣 (しけん) |
鹿島 (かしま) |
天蓋 (てんがい) |
塵輪 (じんりん) |
八十神 (やそがみ) |
天神 (てんじん) |
黒塚 (くろづか) |
鍾馗 (しょうき) |
日本武尊 (やまとたけるのみこと) |
岩戸 (いわと) |
恵比須 (えびす) |
大蛇 (おろち) |
五穀種元 (ごこくたねもと) |
頼政 (よりまさ) |
八衢 (やちまた) |
熊襲 (くまそ) |
五神 (ごじん) |
大江山 (おおえやま) |
弁慶 (べんけい) |
鏡山 (かがみやま) |
三上山 (みかみやま) |
有明 (ありあけ) |
加藤清正 (かとうきよまさ) |
例えば「四剣」は4人の舞手が左手に刀剣、右手に鈴を持って舞い、東・西・南・北・中央の神々を静めて舞殿を清めるもので、湯立てではなく刀剣と鈴を持って場を清めるところに石見神楽の特徴が観られます。
石見神楽の演目「大蛇」
この演目は八岐大蛇(やまたのおろち)を素戔男尊(スサノオノミコト)が退治したという神話を再現しています。
八岐大蛇の話を神楽にするのは石見神楽に限ったことではありませんが、石見神楽の大蛇はスケールの大きさが違うようです。
大蛇の舞手はちょうちん蛇胴(蛇腹式胴体)を動かして自分の体を胴で隠しながらダイナミックに舞うため、まるで本物の大蛇がうねっているように見えるほど迫力があります。
大蛇の内容は次の通りです。悪業のために天界・高天原(たかまがはら)を追われた素戔男尊は、出雲の国にたどり着きます。
そこで嘆き悲しむ老夫婦と出会い、訳を尋ねると、毎年大蛇が現れては8人いた娘のうち7人が食べられてしまったということを聞きました。
最後のひとりである櫛名田比売(クシナダヒメ)もこのままでは食べられてしまうと泣く老夫婦に、素戔男尊はもし大蛇を退治できたら櫛名田比売を嫁に欲しいと伝えます。
素戔男尊は老夫婦にお酒を用意させ、大蛇が酔っぱらったところを持っていた刀剣で退治して、約束通り櫛名田比売と結婚しました。
このとき退治した大蛇の体から刀剣・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を見付けます。
この不思議な刀剣を素戔男尊は姉である天照大御神に献上します。一説には天叢雲剣がのちに三種の神器のひとつ・草薙劒(くさなぎのつるぎ)として熱田神宮に祀られるようになったと言われています。
神楽の刀剣を用いて舞う採物舞、刀剣が登場する神話を題材にした神能では、刀剣を持つ凛とした空気感や強さなどが感じられます。
また、神楽は郷土芸能として様々な魅力も秘めており、その土地にまつわる故事が演目となって郷土文化を受け継ぐ役割を担うこともあります。子供神楽を行なう地域では、神楽の継承によって町全体で子供を育んでいくのでしょう。
今も神楽が継承される地域では、神楽に用いられる刀剣は身近な存在なのかもしれません。