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山城大掾国包(やましろだいじょうくにかね)

「山城大掾国包」は、仙台藩(現在の宮城県仙台市)の藩工として、その名を馳せた名工です。本名は「本郷源蔵」(ほんごうげんぞう)と言い、大和国(現在の奈良県)の名工で「柾目肌」(まさめはだ)の名人、「保昌貞宗」(ほうしょうさだむね)の末裔(まつえい)と伝わる人物です。

生まれは1592年(天正20年/文禄元年)で、23歳のとき、仙台藩初代藩主「伊達政宗」(だてまさむね)の命により、山城国(現在の京都府南部)の刀工「初代 越中守正俊」(しょだい えっちゅうのかみまさとし)の門人となりました。1619年(元和5年)に帰国し、以降、仙台藩工として鍛刀に励みます。

保昌貞宗の柾目鍛えを復活させたことでも知られ、柾目肌に「」(にえ)が流れた地肌は秀逸。作例の切れ味も鋭く、江戸時代に刀の切れ味を格付けした書物「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)において、もっとも格付けの高い「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)に選ばれています。

山城大掾国包(やましろだいじょうくにかね)
作刀した刀剣

  • 刀 銘 山城大掾藤原国包 寛永十一年二月日

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    刀 銘 山城大掾藤原国包 寛永十一年二月日
    刀 銘 山城大掾藤原国包 寛永十一年二月日
    山城大掾藤原国包 寛永十一年二月日
    鑑定区分
    重要刀剣
    刃長
    71.4
    所蔵・伝来
    守山藩松平家 →
    刀剣ワールド財団
    〔 東建コーポレーション 〕
  • 刀 銘 用恵国包

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    刀 銘 用恵国包
    刀 銘 用恵国包
    用恵国包
    鑑定区分
    重要刀剣
    刃長
    69.7
    所蔵・伝来
    刀剣ワールド財団
    〔 東建コーポレーション 〕

陸奥国の地図

陸奥国の地図

「陸奥国」の刀工を見る;


宝寿

宝寿

現在の東北地方は古来、「陸奥国」(むつのくに:現在の青森県岩手県宮城県福島県)と呼称されており、「奥州鍛冶」の根拠地となっていました。平安時代末から室町時代初期まで活動し、舞草なる流派に属した「宝寿」(ほうじゅ)は、この奥州鍛冶を代表する刀工集団です。
源頼朝の奥州征伐のあと、宝寿の刀工は全国へ移り、本国は衰退しましたが、舞草鍛冶の名前を高めました。古備前正恒の父・有正が奥州鍛冶の出と伝わることや古伯耆の出来に近似することから、日本刀創成期に深くかかわる刀工一派と考えられています。
源義経の生涯を描いた「義経記」には、追手に追い詰めたられた源義経の家臣が「舞草が鍛えし太刀ゆえ、腹を切るのに手ごたえがない。」と切れ味を絶賛しつつ、自害する様子が描かれているのです。

宝寿

和泉守兼定

和泉守兼定

兼定」と呼ばれる刀工は、美濃国(現在の岐阜県南部)を本拠地とした刀工の他に、陸奥国・会津(現在の福島県会津若松市)で鍛刀した刀工もいました。「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)は「会津兼定」の11代であり、幕末維新期の会津藩に出仕して藩務をこなしつつ、 作刀した刀工です。

会津における兼定は、関鍛冶3代兼定の子「古川清右衛門」(ふるかわきよえもん)が、1556年(弘治2年)に、会津を治めた戦国大名「蘆名氏/芦名氏」(あしなし)の要請に応じて会津に移住したことに始まります。

作例には「奥州住兼㝎」などの銘を切っており、1625年(寛永2年)に没しました。2代会津兼定は初代の子であり、通称「古川孫四郎」(ふるかわまごしろう)、もしくは「古川孫一郎」(ふるかわまごいちろう)と名乗っていました。芦名氏が滅亡したあと、2代会津兼定は、「蒲生家」(がもうけ)に召し抱えられて鍛刀しています。

その後、蒲生家の断絶を受けて会津兼定は、3代目以降、「会津松平家」の初代当主「保科正之」(ほしなまさゆき)に仕え、「保科家」のお抱え刀工となります。

4代会津兼定は1668年(寛文8年)、「近江大掾」(おうみだいじょう)を受領。その後、入道したため、自身の作例には「兼定入道」と銘を切っていました。会津兼定の中では、歴代の名手として最も高い評価を受けています。

これ以降、会津兼定は順調に代を重ねていき、幕末維新期に至って11代まで、会津兼定を継承しました。11代会津兼定は、10代会津兼定の嫡男です。幼名は「友弥」(ともや)と名乗り、27歳頃から「清右衛門」(きよえもん)に改めています。刀工としての初銘には、「兼元」(かねもと)を用いていました。

1852年(嘉永5年)に16歳で会津藩に出仕し、1863年(文久3年)12月に、官位「和泉守」を受領。これを機に、名を兼定(さだかね)に改めたのです。

会津藩9代藩主「松平容保」(まつだいらかたもり)が、京都の治安維持を任とする「京都守護職」に任じられていたこともあり、1864年(元治元年)に起こった「蛤御門の変」(はまぐりごもんの変:別称[禁門の変])に11代・会津兼定は、会津藩士として出撃。121代天皇「孝明天皇」(こうめいてんのう)奪取を企んでいた、長州藩(現在の山口県)勢と戦っています。

やがて「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)が終結して明治の世になると、1869~1874年(明治2~7年)まで、現在の新潟県加茂市で作刀。その後、再び会津へと戻っており、この期間中の作例を「加茂打ち」(かもうち)と呼んでいます。

加茂打ちを通じて、「互の目乱」(ぐのめみだれ)に「金筋」(きんすじ)の入った「相州伝」(そうしゅうでん)、「」(にえ)と「」(におい)の深い「直刃」(すぐは)が特徴である「大和伝」(やまとでん)を踏襲した日本刀を世に送り出しました。

11代兼定は1876年(明治9年)、福島県に奉職して鍛刀の場から離れましたが、1892年(明治25年)、皇太子「嘉仁親王」(よしひとしんのう:のちの[大正天皇])に日本刀1振を献上。1903年(明治36年)、67歳で没しています。現在も、会津兼定の掉尾(ちょうび:最後になって勢いが盛んになること)を飾るのにふさわしい名工と評価されています。

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