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和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)

「会津兼定」(あいづかねさだ)は、戦国時代末期から江戸時代末期まで会津(あいづ:現在の福島県)で作刀した刀匠であり、11代が「和泉守」(いずみのかみ)を受領しました。日本刀の区分では、新々刀の刀工に分類されます。
11代「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)も会津兼定系の掉尾を飾る名工で、(におい)の深い直刃(すぐは)や、相伝風の(にえ)の強い互の目(ぐのめ)乱れに金筋・砂流しかかる刃文を得意としました。は、「會藩士和泉守兼定」、「和泉守兼定」などがあります。

世界でも有数の刃物の産地として有名な岐阜県の「関市」についてご紹介します。

和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)が制作した刀剣

  • 刀 銘 大日本兼定 紀元二千五百五十二年二月日
    刀 銘 大日本兼定 紀元二千五百五十二年二月日
    大日本兼定
    紀元二千五百五十二年二月日
    鑑定区分
    特別保存刀剣
    刃長
    69.2
    所蔵・伝来
    大正天皇 →
    刀剣ワールド財団
    〔 東建コーポレーション 〕

陸奥国の地図

陸奥国の地図

「陸奥国」の刀工を見る;


宝寿

宝寿

現在の東北地方は古来、「陸奥国」(むつのくに:現在の青森県岩手県宮城県福島県)と呼称されており、「奥州鍛冶」の根拠地となっていました。平安時代末から室町時代初期まで活動し、舞草なる流派に属した「宝寿」(ほうじゅ)は、この奥州鍛冶を代表する刀工集団です。
源頼朝の奥州征伐のあと、宝寿の刀工は全国へ移り、本国は衰退しましたが、舞草鍛冶の名前を高めました。古備前正恒の父・有正が奥州鍛冶の出と伝わることや古伯耆の出来に近似することから、日本刀創成期に深くかかわる刀工一派と考えられています。
源義経の生涯を描いた「義経記」には、追手に追い詰めたられた源義経の家臣が「舞草が鍛えし太刀ゆえ、腹を切るのに手ごたえがない。」と切れ味を絶賛しつつ、自害する様子が描かれているのです。

宝寿

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