やすつな
「安綱」は、伯耆国(現在の鳥取県中西部)の刀工です。同国が隣接していたのは、いわゆる「出雲神話」(いずもしんわ)で知られ、日本海沿岸の中心部に位置していたことから、大陸などと交流が深かった出雲国(現在の島根県東部)。そのため伯耆国には、古くから大陸から伝わった先進文化が息づいており、作刀技術についても、その中で発達していたと考えられています。
銘は「安綱」の二字銘を切り、「安」の字よりも「綱」の字を大きくする点が特徴です。国名を冠して「伯耆安綱」(ほうきやすつな)とも呼ばれ、「天下五剣」(てんがごけん)の1振「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)や、「北野天満宮」(京都市上京区)所蔵の「髭切」(ひげきり:別名「鬼切安綱」[おにきりやすつな]、「鬼切丸」)が代表作として知られています。
しかし安綱は、著名でありながら不明点も多い刀工。姓が「横瀬」であることは確かですが、通称は「三郎太夫」(さぶろうだゆう)や「五郎太夫」、「大原太夫」(おおはらだゆう)、「大原三郎」、「大原五郎」など、複数の名が残っており、諸説紛々(しょせつふんぷん:様々な意見が入り乱れて、まとまらないこと)となっているのです。
安綱の銘は1代限りなのか、数代に亘って続いたのかも定かではありません。伝承によれば、初代は806年(延暦25年/大同元年)頃には活動していたとされています。これは、平安時代初期で「上古刀」(じょうことう)の時代に相当するため、日本刀はまだ、反りがほとんどない「直刀」(ちょくとう)に近い形状が主流でした。しかし伯耆安綱の作例は、いずれも緩やかな湾曲があり、明らかに平安時代中期以降に当たる「古刀期」(ことうき)の作例です。
これをもって伝承を否定する説もありますが、数代を経て古刀期の初期に至ったと考えることもできます。いずれにしろ安綱は、上古刀から古刀への移行期に存在した刀工であることまでは判明しており、現在は、「刀工の祖」として位置付けられているのです。
また、作刀に銘を切った刀工の中で最古の部類に属しており、日本刀の歴史上では、山城国(現在の京都府南部)で鍛刀した「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)、備前国(現在の岡山県東南部)の「友成」(ともなり)と共に、「日本最古の三名匠」と呼ばれています。
安綱の作例は、「腰反り」が高くて踏張りがあり、「鋒/切先」(きっさき)は「小鋒/小切先」(こきっさき)を採用した優美な姿が特徴。「地鉄」(じがね)は「板目」(いため)が肌立っており、地中の働きは、「地沸」(じにえ)が強く付いて「地斑」(じふ)が顕著です。刃文は、「小乱」(こみだれ)に「小互の目」(こぐのめ)や「小湾」(このたれ)が交じっています。刃中の働きは「匂」(におい)が深く、「沸」が良く付いて、「金筋」(きんすじ)や「砂流し」(すながし)がかかり、「区際」(まちぎわ)を焼き落とす作風が特徴です。