「太刀 銘 宗忠」は、庄内藩(しょうないはん:現在の山形県)の武士・役人であった菅実秀(すげさねひで)の愛刀で、薩摩藩(さつまはん:現在の鹿児島県)出身の西郷隆盛(さいごうたかもり)から譲り受けた物と伝わります。
菅実秀は1830年(文政13年)生まれの藩士。戊辰戦争(ぼしんせんそう)を機に西郷隆盛と知り合い、西郷隆盛の思想「敬天愛人」(天を敬い、人を愛すること)などに心酔し、西南戦争(せいなんせんそう)で西郷隆盛が亡くなったあとも、彼を慕って西郷隆盛の名言集「南洲翁遺訓」(なんしゅうおういくん)を刊行しています。
菅実秀と西郷隆盛の銅像
また、菅実秀ゆかりの地である山形県酒田市にある「南州神社」(なんしゅうじんじゃ)は、西郷隆盛と菅実秀の2人を祀っている神社です。境内には西郷隆盛と菅実秀が「徳の交わり」を誓い合う姿を描写した銅像が建てられており、2人の遺徳を伝えています。
本太刀の作者は、福岡一文字派(ふくおかいちもんじは)の刀工「宗忠」(むねただ)。鎌倉時代前期の建暦(けんりゃく)年間(1211~1213年)に活躍しました。宗忠は、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の七月御番鍛冶(ごばんかじ)を務めた宗吉(むねよし)の系統と伝わり、在銘刀は稀少です。
一文字派は、鎌倉時代初期に備前国(びぜんのくに:現在の岡山県東部)で興り、そのあと南北朝時代にかけて福岡、吉岡、片山、岩戸の地に栄えて多数の名工を輩出しました。
本太刀は、昭和12年12月24日に重要美術品に認定された物です。やや詰まりごころの中鋒/中切先(ちゅうきっさき)、精緻(せいち)な小板目肌(こいためはだ)に乱れ映りが立つ地鉄(じがね)、古備前派(こびぜんは)の作風を踏襲した小丁子乱れの刃文(はもん)が特徴。
刃中には足(あし)・葉(よう)がしきりに入り、帽子は直刃調(すぐはちょう)で小丸に返っています。出来・保存状態とも優良で貴重な1振です。




