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へいじものがたりえまき ろくはらぎょうこうのまき うつし 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 写し /ホームメイト

「平治物語絵巻」は、平安時代末期に起きた「平治の乱」(へいじのらん)を題材に絵巻物とした物。整然とした構図、人馬の躍動感、人物の豊かな表情、甲冑の描写などが優れており、合戦絵巻の傑作と評されている絵巻物です。作者は鎌倉時代の住吉慶恩(すみよしけいおん)と言われていますが、明らかではありません。
現存する絵巻物は、「三条殿夜討の巻」(ボストン美術館所蔵)、重要文化財「信西巻」(静嘉堂文庫美術館所蔵)、国宝「六波羅行幸巻」(東京国立博物館所蔵)の他、「六波羅合戦巻」の残欠(MIHO MUSEUM所蔵)が確認されています。
「平治の乱」は、公卿である信西(しんぜい:号は円空)と藤原信頼(ふじわらののぶより)の権力闘争に絡んで、武士である平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)の武力抗争に発展した内乱。
1159年(平治元年)、源義朝と藤原信頼は、平清盛が熊野詣のために都不在である時を狙って天皇御所・三条殿を襲い、二条天皇と後白河上皇(ごしらかわじょうこう)を内裏に幽閉し、信西を殺害しました。
信西と手を組んでいた平清盛は不利な立場に追い込まれますが、上皇と天皇の救出を図り、上皇を仁和寺(にんなじ)へ、天皇を六波羅(ろくはら:現在の京都市東山区六波羅蜜寺周辺)の清盛邸へ脱出させることに成功します。天皇が清盛邸へ移ったことを知った公家・諸大夫は、続々と六波羅の清盛邸に集結。これを機に平清盛の時代となっていくのです。
「平治物語絵巻」の「六波羅行幸巻」第三段には、この六波羅集結の場面が描かれています。本掛軸は「六波羅行幸巻」第三段の部分写しで、江戸時代に模写された物。国宝・平治物語絵巻「六波羅行幸の巻」と同じ寸法で、清盛邸を警護する大鎧をまとった武士、馳せ参じた公家・諸大夫の牛車などが的確に写し出されています。
本掛軸は、ドイツ出身の医師エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz)のコレクションです。1876年(明治9年)、ベルツは日本の医学発展のために明治政府より招聘され、東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師や明治天皇の主治医などを勤めました。
親友であるハインリヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold:父は江戸末期に当時最新の西洋医学を日本へ伝えた医師・シーボルト)の影響で、江戸時代から明治時代にかけての日本美術を約6,000点収集しています。
東京大学医学部の図書館裏には、1907年(明治40年)に建立されたベルツの胸像が現存し、ベルツが海外に紹介した草津温泉にある「ベルツ通り」、箱根富士屋ホテル滞在中のベルツが女中の手荒れのために処方した「ベルツ水」などは、ベルツの貢献を今も伝えるものです。