長編『富士に立つ影』で一躍有名になった白井喬二(しらいきょうじ)。芥川龍之介にも賞賛されたその想像力で日本の伝奇小説を大きく発展させました。その刀剣観も独特のものでした。
富士に立つ影
白井喬二は、代表作となった長編小説『富士に立つ影』(1924~1927年『報知新聞』連載)で、江戸から明治の時代にかけ、築城家の親子三代にわたる対決を描きました。レフ・トルストイの長編小説『戦争と平和』を意識したと述べています。
主人公・熊木公太郎とライバル・佐藤兵之助は、築城の腕前だけでなく、剣術でも争いました。
作品連載中、「剣劇」を創始したとされる新国劇の創設者・沢田正二郎主演で舞台化されています。
さアこうなると、刀が勝つか巧みが勝つか、俄かに判ずる事の出来ない難試合となったが、しかし兵之助の智略は恐らく公太郎の弱みを突いて結局は討果すのではあるまいか。見ていると兵之助は忽ち次ぎの策略を考え付いた物と見え、又もや切先を立て直してジリジリと接近して来た。今度は寄り身の突きに出るらしく、刀身は毛切虫の髭の如く敏感なる気概を発しながら攻防七三の備えを見せて進んで行く。
アア公太郎はこの俊敏なる突きの一手をもあの下げ刀で払うツモリであろうか。『富士に立つ影』より
雑誌社勤務などを経て作家となった白井は、新人のとき、芥川龍之介にその空想力を賞賛されます。築城術対決の他、兵学対決、変術と呼称した忍術対決など、独自の物語設定を好みました。
『富士に立つ影』と同時期に執筆し、「新講談」と付けた『新撰組』(1924~1925年『サンデー毎日』連載)では、新撰組を物語の時代背景として登場させたうえで、独楽(こま)職人の腕前対決を中心に描きました。
盤嶽の一生
白井は、『盤嶽の一生』(1932~1951年『オール讀物』他断続連載)で、本格的に剣士像を描きます。作品連載中、大河内伝次郎主演で映画化されています。
主人公の浪人・阿地川磐三(盤嶽)は、武州の一刀流の使い手・大垣周次郎に学びました。愛刀は、近江国出身の刀工・日置光平(へきみつひら)の物です。
磐三は、日置光平の一刀を持っていた。刀身二尺八寸、製は鋼造だが、いい刀であった。これは、周次郎から貰ったのだと言っていた。磐三が、この刀を愛していたことは、人に向かって「われわれ二人――」と言って、複数を用い、刀をも、一人前に数えていたので分る。
『盤嶽の一生』
『盤嶽の一生』が執筆された頃は、昭和恐慌による就職難の時期でもありました。そんな時代を投影し、世の中の不条理に振り回されながらも真実を探し求める盤嶽は、刀を抜くことがめったにありませんでした。
日本刀と一心同体ではあるもののそれを抜かない盤嶽は、作品中で以下のように表現されました。
でも、変人ではなかった。
といっても凡人でもなかった。
無論、偉人でもない。――
では、何か?
(中略)「阿地川は繭のような男だ――」とある。『盤嶽の一生』
その後も白井は『斬るな剣』(1933年『日曜報知』初出)を発表。主人公の宗方兄弟は、父の遺言で刀を一度しか抜いてはいけないものの、兄弟が世話になった博徒がのちに父の敵であることが分かり、苦悩します。
白井にとって日本刀は、不条理と隣り合わせの存在でした。