儀式や祭礼で舞われるアイヌ古式舞踊には、選択無形民俗文化財に指定されている釧路市春採地区と阿寒湖畔地区以外にも、地域ごとに様々な舞が伝えられ残っています。現在、北海道のコタンがある各地域には保存会などが置かれ、観光客などに紹介されるとともに、次世代への継承が行なわれています。
はるか昔、11世紀頃から東北や北海道の資源をめぐって朝廷や幕府、松前藩との戦いを繰り返した北方の先住民族・アイヌ民族は、独自の文化、言語を持っています。
北方ユーラシア大陸文化との繋がりを持つアイヌ民族はかつて、狩猟や漁労、和人(大和民族)や大陸の国家との交易で生計を立てていました。アイヌ民族は、北方の過酷な生活環境の中で自然を理解し、その中で狩猟や漁労を行ないながら、自然と共生する社会を構築していたのです。

マキリ
アイヌ民族の男性は皆、マキリという小刀を護身のために常に身に付けており、狩猟や漁労の他に、マキリで様々な木工芸品を作りました。
樹木の材質を熟知していたアイヌ民族の男性は、用途に応じて材木を選び、独特の美しい彫刻を施して仕上げたのです。
一方女性達は、食料や繊維の素材となる植物採集の他に、独特の文様の刺繍を衣服などに施しました。アイヌ刺繍は、現在も手芸愛好家に人気があり、講習会などを通じてその手法が伝えられ、親しまれています。
アイヌ民族は、コタンという祖先が同じ血縁集団ごとに集落や村を形成していました。コタンとはアイヌ語で「宅地」を意味し、居住者達は食料の貯蔵庫や祭壇などを共有。コタンでは、年長者である古老が首領として集団を取りまとめ、若年層への文化の継承などを司り、狩猟や漁労、採集を行なう場所もコタンごとに分かれていたのです。
そして、森羅万象に神=カムイが宿っていると考えるアイヌの人々は、様々な神が為した創造譚、神話をユーカラという吟唱形式の叙事詩を通じて後世に継承しました。アイヌ語には近代まで特定の表記方法が無く、口承(こうしょう)だけで受け継がれたのです。
なお、ユーカラには神々について詠った「カムイ・ユーカラ」と、人間=アイヌについて詠ったユーカラがあります。
また、アイヌの人々は「木を切り出す」、「獣を仕留めた」、「家財道具が壊れた」といった、様々な場面で神への祈りを捧げました。神への祈りの際にはイナウという木製の祭具を備え、カムイノミという飲酒儀礼を行ない、万物に宿る様々な神との関係を良好に保ちました。
アイヌ民族の世界観とは、天上の神様の世界・カムイモンと地上であるアイヌの世界・アイヌモン、地下にある死後の世界・ポナクモンの3つから成り、すべての霊魂は不滅で再生するというものでした。人間も肉体が死んだあと、魂は異なる世界へと旅立ち再生する、すなわち輪廻転生が、アイヌ民族の死生観なのです。
魂の不滅を信じるアイヌ民族は、様々な祭礼、儀式を執り行ないました。また、コタンごとにしばしば宴会を催し、歌や踊りを舞って楽しみました。アイヌの人々にとって、歌や舞は感情を表現する上で必要不可欠。そのため、祭礼や儀式、宴席以外といった特別な機会ではない日常生活においても歌い、舞に興じることがありました。
アイヌ民族は、祭礼や儀式においても居住地域やコタンごとに異なる歌舞を舞い、神への祈りを捧げます。アイヌ民族の信仰における特長は、神との交歓における姿勢にあり、善い神には感謝を伝え加護を祈り、悪い神、意地悪な神に対しては、鎮まるよう祈ったり、なだめたりするのではなく、逆に威嚇して退散させようとするのです。そのため、神の性質に合わせて異なった歌舞を捧げました。
アイヌ民族の歌舞とは、単純な旋律に乗せて詩を詠いながら舞うものです。楽器を用いることは少なく、詠唱に合わせて周りの人々が掛け声、手拍子、物を叩いて拍子を取るなどしました。アイヌ民族はあまり多くの楽器を持っておらず、代表的な楽器は口琴であるムックル、弦楽器・トンコリなどです。
舞の形式も多種多様で、リムセやホリッパと呼ばれています。アイヌ民族の舞い方には、動植物の動きや様子を表現する舞、長時間踊り続ける根競べのような舞、暮らしの中での動作をかたどった舞、自由に遊びとして楽しむ舞などがあります。アイヌ民族にとって舞とは、神との交歓でありつつも、娯楽としての意味もありました。
アイヌ民族の舞や詠唱には、アイヌプリというコタンごとの作法が定められており、歌舞の継承を通じてその作法も受け継がれました。
アイヌ民族固有の舞は「アイヌ古式舞踊」と称され、1984年(昭和59年)に国の重要無形文化財に認定され、2009年(平成21年)にはユネスコの無形文化遺産に登録されています。
アイヌ古式舞踊とは、北海道内に居住するアイヌ民族によって伝承されてきた歌と踊りのことであり、アイヌの人々の生活、芸能、神々との交歓によって育まれてきた民族舞踊なのです。
アイヌ古式舞踊は、コタンや居住地域ごとに様々な様式があります。いずれもウポポという歌に合わせて、リムセと呼ばれる輪舞を舞うことが基本の構成であり、他に集団で踊るホリッパという様式もあります。ウポポや舞い方はコタンごとに異なり、装束や手にする小道具も変わるのです。
アイヌ古式舞踊の多様な様式はいずれも、古くからそのままの形で継承されており、貴重な文化遺産として高く評価されています。
現在、文化庁が運営するホームページ「文化遺産オンライン」上では、重要無形民俗文化財としてアイヌ古式舞踊が、記録作成などの措置を取るべき選択無形民俗文化財として、北海道釧路市春採(はるとり)地区と阿寒町阿寒湖畔(あかんちょうあかんこはん)地区の各コタンが継承する古式舞踊が指定されています。
いずれの古式舞踊も、日本の本州地区で古くから伝承されてきた民族舞踊とは趣が大きく異なり、アイヌ民族の信仰や生活を反映し、古来より変わらず継承されてきました。
アイヌ民族は、豊漁猟の祈念や厄災を払いたいとき、または祖先への敬意を表するために歌舞を舞いました。その種類には「儀式や奉納の意味で舞う」、「動物などを真似て舞う」、「純粋な娯楽として舞う」という3種があります。
現在、北海道のコタンがある各地域には保存会などが置かれ、観光客などに紹介されるとともに、次世代への継承が行なわれています。
儀式や祭礼で舞われるアイヌ古式舞踊には、選択無形民俗文化財に指定されている釧路市春採地区と阿寒湖畔地区以外にも、地域ごとに様々な舞が伝えられ残っています。
北海道の帯広地方では「サルキウシナイ」という情景を表現する舞や、「バッタキ・ウポポ」というバッタの真似をする舞。日高振興局管内の様似(さまに)地方には、情景を表現する「シカタクイクイ」や、親子の鶴の様子を真似た「フントリ・フンチカブ」といった舞があります。

フントリ・フンチカブ
また、道東の白糠郡白糠町(しらぬかぐんしらぬかちょう)の海沿いエリアには、舟を漕ぐ様を表した「アトゥイソ」、鯨によって飢えから救われたことを感謝した「フンペ・リムセ」という舞。
さらに日高地方西部に位置する平取町(ひらとりちょう)近辺には鳥の形態を真似た舞が多く、鶴を真似た「ハララキ」、アマツバメを表現した「チャク・ピヤク」といった舞があります。
そして、選択無形民俗文化財に指定されている釧路市春採地区や阿寒湖畔地区には、剣の舞や弓の舞などの他、お盆に舞うもの、機織(はたおり)などの作業を取り込んだものがあります。
北海道の阿寒湖エリアや白老町などの観光施設や博物館では、古式舞踊の舞台が設けられ、舞を鑑賞することも可能。いずれもアイヌ民族の舞や舞踊は暮らしや信仰、自然といった身近なものと深くつながりを持つ伝統芸能なのです。