刀剣と日本の民族舞踊
鬼剣舞
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鬼剣舞

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民俗芸能ながら、バラエティに富んだ演目を持ち、踊り方に技量を要する鬼剣舞(おにけんばい)は、全国各地に残る芸能の中でも特筆すべき存在であり、現在も多くの人々に愛され、次世代へと継承されています。そんな鬼剣舞の演目には、勇壮で力強い踊り、優雅で格調高い踊り、軽快でアクロバティックな踊り、集団で賑やかに踊る群舞など、様々な形式の踊りが取りこまれているのです。

人々の暮らしが育んだ民俗芸能と鬼剣舞

世界各地に残る民俗芸能とは、人々が古代より暮らしの中で育んできた芸能を指します。民俗芸能の特徴は、その地で暮らす人々の習慣や信仰、自然環境がもたらす影響が反映されており、多種多様です。

人々はハレの日(祝祭日)や節目になると、集落ごとに代々伝えられてきた芸能を自ら演じ、楽しみました。民俗芸能には演劇、舞踊、音楽など様々な要素が盛り込まれ、地域の住民が演者となります。

日本における民俗芸能には、信仰の影響を受けたものが多く残されています。縄文時代末期、大陸から稲作が伝えられると、農耕が日本人の生業となり、豊作を祈念するための神楽や、収穫を祝う祭りで披露される芸能が育まれました。

他にも、死者を悼む行事である鎮魂(たましずめ)や盆踊りが行なわれ、神仏習合の習慣をもつ日本では、神に祈りを捧げる際には神楽(かぐら)、仏教では法会(ほうえ)のあとには僧侶や稚児による延年(えんねん)という舞踊芸能が催されたのです。

神楽や法会の舞踊では、しばしば厄災を祓う物として刀剣が使用されました。人々は刀剣を聖なる物、神聖な物として捉え、信仰における行事で使用したのです。

新年には言祝ぎ(ことほぎ)の話芸である萬歳(まんざい)や、囃子(はやし)と歌に合わせて踊る門付け芸・春駒(はるこま)、豊作を祈念した田遊びや、疫病・厄災を祓う芸能も行なわれました。

そして田植の季節には、作業前に田楽(でんがく)という歌舞を集落ごとに楽しむなど、人々は時節ごとに雨乞い踊りや念仏踊りなどを催したのです。

9世紀末には、民衆に念仏踊りという芸能が拡がります。これは、死者の供養や雨乞いなど様々な機会に、念仏を鉦(しょう・平たい金属の打楽器)や太鼓の合奏に合わせて唱えながら舞い踊るものです。

その後、生み出された念仏に加えて小歌などを取り込んだ風流(ふりゅう)、大念仏、小念仏、天道念仏などを総称して念仏踊りと言う芸能が生み出されました。

こうした念仏踊りのひとつとして、東北地方をはじめ各地で踊られる民俗芸能に、剣舞(けんばい)という踊りがあります。

鬼剣舞

鬼剣舞

岩手県宮城県には、鬼剣舞(おにけんばい)、念仏剣舞(ねんぶつけんばい)、鎧剣舞(よろいけんばい)、雛子剣舞(ひなこけんばい)などが伝えられています。

鬼剣舞、念仏剣舞は岩手県北上市周辺一帯で、鎧剣舞は岩手県大船渡市、雛子剣舞は北上川東部で今も継承されています。

いずれも囃子(はやし)に合わせ、飛び跳ねるように激しく舞い踊るもので、刀剣を小物として使用する民俗舞踊です。剣舞は、現在でも地域の祭りの他、初盆の家や墓地、寺院などで踊られています。

岩手県の鬼剣舞

岩手県の鬼剣舞は、主に北上市周辺に伝えられている民俗芸能です。江戸時代、北上地方は南部氏と伊達氏の統治下にあり、領地内には領境が引かれていました。双方の領民達は、領境によって経済や文化の交流を阻まれ、それぞれが独自の発展も遂げられています。

領境が引かれた南部藩(盛岡藩)・和賀、伊達藩(仙台藩)・胆沢の両郡はいずれも豊かな穀倉地帯であり、交通の要衝でもありました。また、郡内を流れる北上川が交流の道となり、隣接する和賀、胆沢の交流は制限されましたが、それぞれ北上川の上・下流の地域とは経済、文化の両面で交流を持つことができました。その影響が、川沿いの集落の民俗芸能に色濃く残されています。

その民俗芸能の代表的なものが「鬼剣舞(おにけんばい)」です。鬼剣舞の始まりには2つの説があり、8世紀初頭の大宝年間に修験道の祖とされる役小角(えんのおづの)が念仏を民衆に広めようと、念仏を唱えながら踊ったことが起源とする説。

もう一説は、9世紀初頭の大同年間に、羽黒山の法印大和尚である善行院が、荒沢鬼渡大明神にて悪霊を祓い、衆生済度(しゅじょうさいど)を祈念して踊ったことを所以とするものです。

いずれにせよ、東北の鬼剣舞は8~9世紀頃から始められた念仏踊りを起源としており、賑やかに奏でられる囃子に合わせ、刀剣を手にした剣舞が舞われるようになりました。

鬼剣舞は、集落ごとに囃子や踊り方が異なり、昔から各地域で代々継承されてきた庶民の伝統芸能なのです。

現在でも、岩手県北上市を中心とした周辺地域では「鬼剣舞連合会」が組織され、12団体が会員として活動しています。

源義経

源義経

その中で、北上市にある連合会で和賀地方の鬼剣舞の祖とされている岩崎鬼剣舞と、明治時代に岩崎鬼剣舞から派生した滑田(なめしだ)鬼剣舞、源義経の鎮魂を祈念する奥州市の朴ノ木沢(ほうのきさわ)念仏剣舞、亡霊から民衆を守った猿の舞を模した川西大念仏剣舞の4つの連合会は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、熱心な継承活動が展開されています。

宮城県の鬼剣舞

岩手県に隣接する宮城県にも、様々な民俗芸能が伝えられています。

鹿踊

鹿踊

その種類は多く、田植踊(たうえおどり)、神楽(かぐら)、鹿踊(ししおどり)、虎舞(とらまい)、剣舞(けんばい)など、県指定として37もの無形民俗文化財が存在。これらのうち、神楽や剣舞では刀剣が使用されます。

その中に、仙台市で継承される3つの鬼剣舞が含まれています。青葉区で継承される川前(かわまえの)鹿踊・川前剣舞は、鹿踊と剣舞が一体化した民俗舞踊です。

広瀬川の上流部にある川前地区は、仙台藩の初代藩主である「伊達政宗」(だてまさむね)が川狩りを楽しんだ地域でもあります。

ここに伝わる鹿踊とは、害虫が発生した際に10頭の鹿が現われて害虫を駆除し、豊作をもたらしたと言う伝説をもとにしたもので、五穀豊穣を祈って踊られる芸能です。

鹿踊で人々は、鹿の頭部を模して口がカタカタと鳴るように作られた被り物を着け、九曜紋(くようもん)が染め付けられて五行色の横縞の入った絹の幕を垂らし、鞨鼓(かっこ)という打楽器を打ち鳴らしながら踊ります。九曜紋とは、中央の円の周囲を8つの小さな円が囲んだ図柄の紋で、円は9つの星を表しています。

剣舞の踊り手は「阿(あ)・吽(うん)」の面を着けて左腰に剣を差し、毛采(けざい)と呼ばれる頭髪を模した物を頭に被って踊ります。鹿踊と剣舞は、一対のものと考えられており、常に一緒に踊られてきました。

九曜紋は伊達家の家紋ですが、5代藩主・伊達吉村(だてよしむら)が川前の鹿踊、剣舞の優美さを称え、家紋の使用を許可して以降、豪奢な絹に染め付けられて使用されています。

仙台市泉区の福岡の鹿踊、剣舞も、古くから寺院によって保護されてきた民俗芸能です。旧家に残されている古文書によると、藩政時代には、八幡町の龍宝寺の塔頭(たっちゅう、脇寺のこと)・東光院が鹿踊と剣舞をはじめとする民の芸能を管理していたと記されています。塔頭とは、禅宗の寺院において、祖師や高弟が亡くなったあとに、弟子達が師の徳を慕い、その寺の近辺に建てた庵や塔のことです。

この八幡町で踊りの大将を努めていた藤九郎という人物は鹿踊、剣舞の始祖とされています。福岡の鹿踊も五穀豊穣を祈念するもので、剣舞は厄災を退け、天下泰平を祈念して踊られました。

同じ泉区に伝えられる上谷刈(かみやがり)の鹿踊・剣舞も、福岡の鹿踊・剣舞と同じ八幡町の藤九郎を始祖とされており、慶安年間(1648~1652年)にその近隣地区に伝承されました。

その後、上谷刈の鹿踊・剣舞は幾度か衰退と復興を繰り返しますが、1957年(昭和32年)に復興し、1964年(昭和39年)には保存会が結成され、今日まで脈々と継承されています。

伝承地ごとに異なる鬼剣舞の演目

岩手県北上地方に伝わる、日本刀(刀剣)を手にした民俗舞踊・鬼剣舞(おにけんばい)は、伝承地ごとに師匠から次世代の弟子へ秘伝書を伝授するという形式で継承されてきました。現在も残っている古い秘伝書は、岩手県北上市の岩崎鬼剣舞に残されている「念仏剣舞伝」で、1732年(享保17年)に記述された物です。

各地で巻物として残されている秘伝書には、踊りの由来、演目や踊り方、所作、装束、採り物などが記されています。継承者達は、秘伝書の記述に即して演目などを決めて踊るのが特徴です。

現在採用されている演目は、地域により異なりますが、12~20以上あるとされていて、12演目が一般的とされています。その演目には勇壮で力強い踊り、優雅で格調高い踊り、軽快でアクロバティックな踊り、集団で賑やかに踊る群舞など、様々な形式の踊りが取りこまれているのです。

一番庭

一番庭

演目の組み合わせや踊り方は組ごとに異なり、伝承地ごとに多彩な鬼剣舞を披露しています。鬼剣舞は、演目の基本とされる「一番庭(いちばんにわ)」が始まり。一番庭は踊り手が揃って踊る演目ですが、「礼舞(れいぶ)」とも呼ばれ、踊り手は扇を手に、念仏などに合わせて格調高く穏やかに踊ります。

一番庭のあとには「一番庭」と対を成す「一番庭の狂い」が踊られます。一番庭の狂いは、別名を「扇合わせ」と称し、向い合せた踊り手が扇と手を合わせながらゆったりと華やかに踊ります。「狂い」とは「崩し」の意味であり、一番庭を変更したものなのです。

一番庭の狂いに続いて踊られる「二番庭(にばんにわ)」もまた、格調高く華やかな踊りですが、一番庭の狂いよりやや激しい踊りです。神社や仏閣で披露される際は、この「二番庭」が最初に踊られます。

勇壮な鬼剣舞の演目

鬼剣舞の魅力とは、優雅さや格調の高さにもありますが、何よりも踊りが力強く勇壮であることです。踊り手は、常に気迫を込めて踊り、所作のひとつひとつに気が配られています。反閇(へんばい)や跳躍など、激しい動作や柔軟な振りも、囃子に合わせて滑らかに切り替えながら踊られるのが特徴です。

そして一同が一斉に踊る群舞では、各々の気迫がぶつかり合い、融合し、ダイナミックな民俗芸能としての美を観る者に感じさせます。二番庭に続いて踊られることが多い「三番庭」は、念仏に合わせて踊られる勇壮な演目であり、三番庭に続く「三番庭の狂い」は、伴奏、踊りともに変化に富んでおり、軽快で活気に満ちています。

「剣舞(けんばい)」と言われるだけに、鬼剣舞には日本刀(刀剣)を採り物として使用する演目が多く、「刀剣舞(とうけんぶ)」、「刀剣舞の狂い」では、踊り手は腰の太刀を抜いて踊ります。

刀剣舞では、8人の踊り手は太刀を手に、力強くかつ格調高く剣舞を踊るのが特徴です。刀剣舞に続き、刀剣舞の狂いでは、勇壮さに躍動感が加わり、踊り手は互いに太刀を打ち合いながら踊ります。その動作には武術を競うような雰囲気があり、民衆と言うより武者の踊りのような力強さを湛えています。

八人加護

八人加護

鬼剣舞の演目における、剣舞の代表的なものは「八人加護(はちにんかご)」です。八人加護の囃子や踊りはとても変化に富んでおり、8人の踊り手は太刀を手に輪になって、刃をかいくぐったり、跨いだりして、荒れ狂う武者の様相で踊ります。

八人加護にも狂いがあります。八人加護の囃子と踊りを、ひとりの踊り手が踊る演目です。

八人加護の踊りを、2人の踊り手が踊る演目は「二人加護」と称されています。二人加護は、仏様への感謝を表す踊りであり、独特の太刀さばきが特徴です。

また、現在は北上市の滑田鬼剣舞会とその系列の踊会で使用される演目の「三人加護」も、太刀を使用した演目。その名の通り踊り手は3人で、3人の踊り手のうち2人は太刀を、ひとりは幣(ぬさ)を振りかざし、神楽の拍子に合わせて踊ります。三人加護は厄災を祓い、五穀豊穣を祈念した踊りです。

踊り手が3人輪になって踊る剣舞「ムギリ」でも太刀を用います。踊り手はひとりが太刀を2本使用し、両手に持って振りかざしながら踊るのです。

鬼剣舞の多彩な魅力

鬼剣舞の踊組の中で、最も踊りの上手な踊り手が白い面・大威徳明王の面を着けますが、演目「一人加護」では、大威徳明王の面を着けた踊り手だけが舞を披露します。

一人加護は、扇を使用する舞、太刀を使用する舞、素手で舞うという3種で構成された演目で、踊り手はひとりだけで各種の舞を格調高く、勇壮に踊らねばなりません。そのため、踊りの技量を持つ者に振り分けられるのです。

同じくひとりの踊り手が舞う「狐剣舞(きつねけんぶ)」は、とても特徴的な演目です。三人加護と同様に、北上市の滑田鬼剣舞会とその系列の踊会で使用される演目で、踊り手はひとり、鬼面ではなく狐の面を着けて踊ります。

昔、奉納祭の踊り手が急病になってしまった際に、稲荷大明神の化身である狐が踊り手に加わり、奉納を無事終えることができたという伝説をもとに構成された演目。神秘的な雰囲気から軽快な調子に転調する、扇の舞、太刀の舞の足遣いなどに独特の所作が取りこまれている、といった特徴的な内容の演目です。

そして、最も躍動感にあふれた演目が「宙返り」。その名の通り、踊り手は太刀を手に大きく宙返りを披露する他、派手な動きで躍動します。宗教的な意味合いを持つ演目の中で、曲芸的な面白味を持つ演目として際立っています。

カニの抜け殻を想起させる、余興的な演目「カニムクリ」でも、踊り手は宙返りや組み体操のような激しい動きを披露します。2人の踊り手が組を成し、車座や風車といったアクロバティックな動きを繰り返し、踊りの技術のみならず、高い運動能力と体力を必要とする演目です。

滑稽な演目の代表格は、「膳の舞(へきのまい)」。別名を「平木(へぎ)まわし」とも言い、踊り手は膳もしくは盆を2枚持ったまま踊ります。踊りの最中に、宙返りや左右への跳躍を盛り込んだ、軽快で滑稽な雰囲気の楽しい演目です。

主要な演目には含まれていませんが、「カッカタ」も滑稽な雰囲気の演目。主役はカッカタの踊り手で、金剛杖を2本持つ場合もあり、道化の面に合わせた滑稽な動作を繰り返します。その様子は勇壮さとはかけ離れ、下世話ながら屈託のない面白味を感じさせる内容です。

可愛らしい演目として、胴取りが主役となる「胴取り」があります。踊り手や囃子の面々とともに踊組に加わる少年少女が、太鼓を打ち鳴らしながら踊り、少年達は勇壮に、晴着の少女達は華やかに可愛らしく舞い踊る演目です。

民俗芸能ながら、バラエティに富んだ演目を持ち、踊り方に技量を要する鬼剣舞は、全国各地に残る芸能の中でも特筆すべき存在であり、現在も多くの人々に愛され、次世代へと継承されています。

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