刀剣と日本の民族舞踊
アイヌ刀
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アイヌ刀

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和人との戦いにおいて、アイヌ民族は弓矢、槍、エムシと呼ばれるアイヌ刀を手に戦いました。エムシが本来は儀式用であったことからも分かるように、アイヌ民族は刀剣には霊力があり、厄災を祓う力を持つ物と考えており、持ち主の男性が死んだ際には墓に副葬品として納められることもありました。

アイヌ民族の武器・エムシとは

アイヌ民族は、問題や衝突が生じると「チャランケ」で解決しようとし、犯罪に対しては集落・コタンの首長が裁定し懲罰を下しました。また、コタン間に戦いが生じても小規模であったので、武力が用いられることは少なかったのです。

アイヌ民族が武器を手に戦った大きな争いは、15世紀以降に和人(大和民族)との間に繰り広げられたものでした。

古代から始まり、8世紀後半から激しくなった大和朝廷による蝦夷征討は、以降も着々と進行。そして15~16世紀の室町時代には、和人の豪族、蠣崎(かさざき)氏が北海道南部に居住していた集団・渡党(わたりとう)を統一しました。

以降、アイヌ民族との交易を取り仕切り、「豊臣秀吉」の治世時には蝦夷地に渡航する商船への課税権が認められます。そして、江戸時代に入ると松前氏と改称し、のちの松前藩の大名となるのです。

アイヌ民族と和人の間に起こった初めての大きな戦いとは、1457年(康正3年)のコシャマインの戦い。アイヌ民族は、高い精鉄技術を持っていなかったため、和人や大陸の民族と交易を行ない、鉄製品や刀剣を入手していました。

そして1457年(康正3年・長禄元年)、和人の鍛冶屋とアイヌの男性の間に揉め事が生じます。男性は鍛冶屋に護身用の小刀・マキリを注文しましたが、仕上がりと価格に満足せず、争いとなったのでした。

争いは収まらず、和人の鍛冶屋によってアイヌの男性は刺殺されてしまい、怒った首領・コシャマインのもとに団結したアイヌ民族が、和人に蜂起したのです。こうして生じたアイヌ民族と和人との戦いは「コシャマインの戦い」と呼ばれ、最後は若狭国の武田信広が率いた和人の軍によって鎮圧されます。

しかし、その後も和人とアイヌ民族は漁猟権をめぐる争いや抑圧を契機に、1669年(寛文9年)には「シャクシャインの戦い」、1789年(寛政元年)には「クナシリ・メナシの戦い」を繰り広げました。こうした和人との戦いにおいて、アイヌ民族は弓矢、槍、エムシと呼ばれるアイヌ刀を手に戦っていたのです。

アイヌ民族のエムシは、和人や中国大陸の民族との交易によって入手した刀剣と鍔(つば)に、アイヌ民族独特の彫刻を施した鞘(さや)と柄を付けた物。

イカヨプ

イカヨプ

本来、エムシはイコロと呼ばれる宝刀やイカヨプという矢筒とともに、儀礼用または宝物とされていました。アイヌ民族の男性は、祭礼や儀式の際にはイコロやエムシを腰に差し、盛装します。儀式の最中はエムシを祭壇に掛け置き、儀式後に刀を抜き、剣の舞を踊ります。

通常、イコロやアイヌ刀はアイヌ民族独特の織物で造られた帯を付けて、祭壇や壁に飾られており、刃はなまくらでした。

しかし、戦いにおいてはエムシも手入れされて武器となり、戦場で使用されたのです。

様々な刀剣

エムシが本来は儀式用であったことからも分かるように、アイヌ民族は刀剣には霊力があり、厄災を祓う力を持つ物と考えていました。そのため、儀式などで正装する際には欠かさず帯刀したのです。そして、持ち主の男性が死んだ際には、墓に副葬品として納められることもありました。

イコロ

イコロ

一方、イコロとは宝物のことであり、イコロと呼ばれる宝刀は刀身だけでなく、柄の拵え(こしらえ)なども本州で設えられた刀剣で、家族の宝物としてイヨイキリという床の間のような場所に飾られたり、箱に収められ大切に保管されたりしました。

しかし、幾度かの和人との戦いを経て、アイヌ民族の刀剣所有には、次第に幕府による制限がもたらされたため、イコロの刃はなまくらとなり、なかには刀身すべてが木製や竹製の物になってしまったのです。

アイヌ民族のイコロとして製造された刀剣には、飾りの金具が付けられた物や、刀身の地金に簡素ながら独特の趣を持つ彫刻を施した物等があり、こうした加工を施した刀剣は「蝦夷拵」(えぞごしらえ)と呼ばれました。蝦夷拵は現在でも、歴史的、美術的な価値が認められ、各地の美術館や博物館で展示される他、刀剣や骨とう品の愛好家の蒐集対象となっています。

イコロは、地域によって呼び名が異なり、長いイコロをタンネブイコロ、短いイコロをタクネブイコロと分けて呼ぶ地域もあります。

アイヌ民族の男性が道具として愛用した刀剣は、コシャマインの戦いのきっかけともなったマキリという小刀、短刀です。曲がったマキリはレウケマキリ、動物や魚の皮を剥ぐためのマキリはリマキリと呼ばれ、用途によって形状や名称が異なります。

なお、女性が採集などで使用するマキリは男性の物よりも小ぶりで、メノコマキリと呼ばれます。

他にも、タシロという山や森で樹木を伐る際に使用する山刀などもあります。いずれも交易で得た刃物に、彫刻を施した柄や鞘を付け、美しく装飾された道具としての刀剣です。

刀剣の登場するアイヌの伝説や物語

アイヌ民族の文化であり、口承文芸の叙事詩・ユーカラにおいても、刀剣が登場するものが多くあります。

アイヌについてのユーカラ「クトネシリカ」は、英雄・ポイヤウンペの活躍物語ですが、クトネシリカとはポイヤウンペの愛刀の名称です。英雄と宝剣という組み合わせは各国の物語にしばしば登場しますが、クトネシリカの特徴は、大きく湾曲した刀身に霊力があるのではなく、鍔(つば)や鞘、鐺(こじり・鞘の端)に霊力が宿っていること。クトネシリカの鍔には、4種のカムイが彫刻されていて、ポイヤウンペが危機に陥ると、4種のカムイが霊力を発揮して助けるというのです。

物語は、少年・ポイヤウンペと雷の神との戦いを中心に語られます。雷の神はポイヤウンペの許嫁に横恋慕し、言う通りにしなければ殺してしまうと脅します。それを知ったポイヤウンペは、神の鎧(よろい)と愛刀・クトネリシカを手に立ち向かい、雷の神に打ち勝つのです。

また、各地のアイヌ民族に残る伝説にはイペタムという妖刀が登場します。イペとは食べる、タムは刀のことを意味し、人を食べる刀を意味します。

あるコタンには、かつて首長の家にあったという妖刀・イペタムの伝説があります。イペタムは、盗賊が忍び寄ってくるとひとりでに鞘から飛び出し、盗賊を殺したあと、首長の家に戻ってきたそうです。首長の死後、イペタムはむしろに包まれて片付けられますが、ときに妖しい光を放ったため、恐れた人々はイペタムを捨ててしまいます。しかし、イペタムは何度捨てても戻ってきたのです。

別の地域では、少し異なった内容の話となっています。先祖から開けてはならないと伝えられてきた包みが、あるとき光を放ち、その光が入った家の住人が惨殺されるという事件が続発。その包みの中身が、イペタムだったのです。

違う地域では、イペタムが人を救います。人を襲う伝説上の大怪鳥・フーリを退治しようとイペタムを投げつけたところ、イペタムはフーリを食い殺したとされています。

釧路地域には、あるコタンの首長の家宝である、美しい鎧と刀にまつわる話が残されています。鎧は飾られていましたが、刀は厳重に箱に収められていました。箱のなかには時々、食べ物が入れられ、少しすると食べ物は消えてしまうというのです。他のコタンの首長がその鎧を何とか手に入れたいと思い、油断させるため、妊婦を忍び込ませて盗もうとしました。妊婦が鎧を盗んで逃げだすと、盗まれた首長は箱から刀を持ち出し追いかけます。そして遂に追いつくと、首長は刀で妊婦とお腹の中の胎児も共に斬り倒し、鎧を取り戻します。この刀も、妖刀イペタムだったのです。

いずれの地域の伝説でも、イペタムは自ら動くことがあり、人を食べるように惨殺すること、ときに光を放ち、そして何度捨てても戻ってきてしまうこと等が共通した特徴です。

口承で伝えられたアイヌ民族のユーカラや伝説には、世にも不思議な刀剣に関する話が多く残されています。

アイヌ刀

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