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愛知県の有名な日本庭園5選
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愛知県の有名な日本庭園5選 愛知県の有名な日本庭園5選
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愛知県には、多彩な日本庭園が集まっています。特に充実しているのは名古屋市周辺で、その多くは施設の面積が広く、園内を歩いて巡れる回遊式庭園です。いずれも、季節によって色を変える落葉樹を活かした造りで、四季折々の景観を楽しめます。愛知県にある代表的な日本庭園5つについて、それぞれの特徴を見てみましょう。

白鳥庭園(名古屋市熱田区)

白鳥庭園

白鳥庭園

白鳥庭園」(しろとりていえん)は、1983年(昭和58年)から約8年かけて完成し、世界デザイン博覧会のパビリオンにもなった、東海地方でも特に大きな日本庭園です。紅葉や雪吊り(ゆきづり:木が雪の重みで傷まないようにするための補強)の印象的な池泉回遊式庭園が中央にあり、一角には枯山水庭園や露地も併設。日本庭園の多様な趣を集めた構造になっています。

特徴的なのは、庭園内に中部地方の地形を反映させていることです。築山を長野県と岐阜県にまたがる名峰「御嶽山」(おんたけさん)に見立て、そこから木曽川を模した小川を流し、伊勢湾を表現した池泉へと水が流れます。敷地面積約3.7haの敷地を回遊しながら、東海三県(愛知県・岐阜県・三重県)の地理を体験できるのです。

また、園内の一角にある露地も見どころ。茶室研究家兼建築家の「中村昌生」(なかむらまさお)氏が手がけた茶室「清羽亭」(せいうてい)がたたずみ、その周りに造られた外露地と内露地は、静かな美しさを生み出しています。

徳川園(名古屋市東区)

徳川園

徳川園

「徳川園」(とくがわえん)のルーツは、1695年(元禄8年)に尾張藩2代藩主「徳川光友」(とくがわみつとも)が築造した隠居所「大曽根屋敷」(おおそねやしき)です。当時は敷地面積が約44haもあり、中心部に広大な泉水があったそう。16挺の舟を池に浮かべるなど、東海地方でも特に大きな日本庭園として異彩を放っていました。

その後、明治時代尾張徳川家の邸宅となり、1931年(昭和6年)に名古屋市へ寄贈されます。大名庭園の面影を残しながら、1932年(昭和7年)には「徳川園」として一般公開されましたが、「第二次世界大戦」の空襲により庭園の大部分を焼失。それ以降は、一般的な都市公園「葵公園」(あおいこうえん)として活用されました。

2005年(平成17年)、名古屋市の後援によって大改修が行われ、造園家「伊藤邦衛」(いとうくにえ)氏の手で、大名庭園を復元。敷地面積約2.3haの池泉回遊式庭園に生まれ変わりました。愛知県の自然を庭園のコンセプトとし、高低差のある地形を木曽山脈や伊勢湾、濃尾平野などに見立てて、「大曽根の瀧」(おおそねのたき)や「龍仙湖」(りゅうせんこ)、ボタン園などが造られたのです。

徳川園の一角に流れる「龍門の滝」(りゅうもんのたき)などには、総重量250tもの岩を使用。さらには約20分ごとに水量が増加するというユニークな仕掛けも組み込んでいます。ボタンやハナショウブをはじめとする四季の彩りとともに、変化する自然景観も楽しめるのです。

名古屋城 二之丸庭園(名古屋市中区)

名古屋城 二之丸庭園

名古屋城 二之丸庭園

名古屋城 二之丸庭園」(なごやじょう にのまるていえん)は、1620年(元和6年)以降に尾張藩の政庁として使われた「二之丸御殿」(にのまるごてん)に併設されています。享保年間(1716〜1736年)に大改修が行われ、池泉や築山、茶室などが苑路で結ばれた回遊式庭園となりました。その後、文政年間(1818〜1830年)に尾張藩10代藩主「徳川斉朝」(とくがわなりとも)が再改修を実施し、約3万㎡にも及ぶ壮大な庭園となります。藩主が住んでいた城内御殿の庭園としては、日本一の規模でした。

二之丸庭園は大きく「前庭」(まえにわ/ぜんてい)、「北御庭」(きたおにわ)、「二之丸東庭園」(にのまるひがしていえん)で構成されていますが、特に見応えがあるのは北御庭です。急峻な地形に大胆な石組を配置。なかでも「枯滝石組」(かれたきいしぐみ:水を用いずに石や白砂のみで滝を表現した石組)は、全国で6例しか存在しない「玉澗流」(ぎょっかんりゅう:枯滝の上部に石橋を架けることで山水画の趣を造り出す技法)を鑑賞することができます。

愛・地球博記念公園日本庭園(長久手市)

愛・地球博記念公園日本庭園

愛・地球博記念公園日本庭園

2005年(平成17年)に開催された万国博覧会「愛・地球博」(あい・ちきゅうはく)の長久手会場跡に整備された「愛・地球博記念公園」には、知る人ぞ知る日本庭園が存在します。「水や緑に恵まれた環境の中で、伝統と現代が互いに共鳴し合う空間」をコンセプトとした、自然に根ざした回遊式庭園が、万博開催時に造られました。

築山から流れる水を活かした情景が随所に見られ、水辺にたたずむ「腰掛待合」(こしかけまちあい:茶会に集まった人を待たせるための休憩所)や「伊勢物語」(いせものがたり)の景観をモチーフにした「州浜」(すはま:池泉の水際を美しく見せるための護岸意匠)などが楽しめます。また、苑路沿いに奥へ進むと地苔に囲まれた飛石があり、視線の先には緑に囲まれた「小間」(こま:四畳半より小さな茶室)を配置。「侘び」の美しさが楽しめる露地もあります。

有楽苑(犬山市)

有楽苑 如庵

有楽苑 如庵

1618年(元和4年)、「織田信長」の弟としても知られる茶道「有楽流」の創始者「織田有楽斎」(おだうらくさい:別名・織田長益[おだながます])が、「建仁寺」(けんにんじ:京都市東山区)の「正伝院」(しょうでんいん)に茶室「如庵」(じょあん)を建設しました。その建物を現在地へ移築した際に造られた庭園が「有楽苑」(うらくえん)です。作庭を監修したのは、昭和時代を代表する建築家「堀口捨己」(ほりぐちすてみ)氏。数十年前から如庵をはじめとする茶室の研究に取り組み、1951年(昭和26年)に完成させました。

移築に際しては、建仁寺時代の露地を踏襲しつつ、庭木や岩の個性を重視して、自然素材を活かして創建時の如庵を復活させることを目標に設計。門や石灯籠、「手水鉢」(ちょうずばち:別名・蹲踞[つくばい])はあえて数百年の年季が入った物が採用されています。さらに松の木の位置や竹の種類、飛石の配置まで、1799年(寛政11年)に描かれた如庵の絵図をもとに再現しました。

一方で、堀口捨己氏独自の解釈も随所に見られます。江戸時代は如庵の露地に池泉が設けられていたものの、白砂を用いて枯山水を造りました。また、数十本の自然木や景石を移植し、華やかな四季の彩りも加えられています。

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