「南紀重国」は江戸時代に、紀州藩(現在の和歌山県、及び三重県南部)のお抱え刀工を務めた、大和国(現在の奈良県)出身の人物です。「徳川家康」に召し抱えられ、駿河国(現在の静岡県中部、及び北東部)で鍛刀。1615年(慶長20年/元和元年)に、徳川家康の十男「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)に追従して、紀州藩へ移りました。
「古刀期」から「新刀期」へ移行する時期に作刀された「慶長新刀」(けいちょうしんとう)において、南紀重国は、「新刀五鍛冶」のひとりに数えられるほど鍛刀技術は卓越。江戸時代の刀剣格付書「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)でも、「良業物」(よきわざもの)に選ばれています。
なお、南紀重国一派のなかでは、「4代 重国」も高名。江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)の命により、「浜御殿」(現在の浜離宮恩賜庭園[はまりきゅうおんしていえん]:東京都中央区)で作刀を披露し、「一葉葵紋」(いちようあおいもん)を「茎」(なかご)に刻むことを許されました。