本短刀は、安土桃山時代の1578年(天正6年)に、備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の「祐定」(すけさだ)が鍛えた1振。
本短刀は平造り(ひらづくり)で、鍛肌は小板目(こいため)に板目(いため)が交じり、強く肌立ち、地沸(じにえ)が厚く付きます。
刃文は直湾れ(すぐのたれ:直刃[すぐは]に近い湾れ刃)で刃縁(はぶち)は沸(にえ)付き匂(におい)深く、刃中(はちゅう)には金筋(きんすじ)や砂流し(すながし)がかかっています。帽子(ぼうし)は直刃調で先は掃き返り(はきかえり)ます。
茎(なかご)は生ぶ、先は栗尻(くりじり)で鑢目(やすりめ)は勝手下(かってさがり)。
本短刀の最大の特徴とも言えるのが、力強く彫り込まれた倶利伽羅竜(くりからりゅう)の欄間透彫(らんますかしぼり)。倶利伽羅竜の正体である不動明王(ふどうみょうおう)に加護を祈ったのであろう、かつての所有者の思いが感じられます。
本短刀の作者である祐定は「長船派」(おさふねは)の刀工であり、室町時代末期に備前国で作刀した「末備前」(すえびぜん)の代表的な刀工です。ただし、祐定は同名の人物が数十名いたとされ、刀工の個人名とみるよりは工房の名称と考える方が適切とする意見があります。