「同田貫一派」は、室町時代の末頃、九州・肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の菊池同田貫の地に起こった刀工群です。熊本城主として肥後国を領した「加藤清正」のお抱え刀工で、朝鮮出兵にも従軍し、多くの実用刀を作刀しました。反りが浅く、中切先が伸びる無骨な姿に、直刃(すぐは)で湾れ(のたれ)乱刃を焼く鋭利な作風が賞賛されています。
本刀は、1844年(弘化元年)頃に活躍したと伝えられる「同田貫宗広」(どうだぬきむねひろ)の作品。反りが浅く、中切先が伸びる豪壮な体配。刃文(はもん)は直刃調に足、葉の働きがよく入り、地鉄は板目流れで柾がかり、肌立ちながら良く鍛えられています。同田貫一派らしい、特色が良く表れた1振と言えるのです。