「秀忠」は、昭和時代の関鍛冶を代表する刀匠のひとりです。本名は高羽誠。刀匠「池田国忠」(いけだくにただ)と刀匠「中田兼秀」(なかたかねひで)に入門し、両師から一文字ずつ貰って、秀忠と名乗りました。「関住秀忠」、「高羽秀忠」、「高羽誠」の銘が切られています。のちに、人間国宝「宮入行平」氏のもとで研修を受け、岐阜県関市に高羽鍛錬所を開設。関の名工「志津三郎兼氏」の写しの評価が高く、奨励賞などを受賞しています。
本刀は、鎌倉時代初めに制作された福岡一文字古備前「則宗」太刀の寫(うつし:写し)。1973年(昭和48年) に作刀された秀忠45歳時の作品です。