1945年(昭和20年)、日本は連合国に無条件降伏し、太平洋戦争が終結しました。戦後日本に進駐したアメリカ軍は、それまでの国家最高元首としての天皇のあり方を否定し、国と国民統合の象徴という民主主義下での新しい概念を導入しました。
それに伴い、それまで天皇の勅任という形を採り、皇室・皇族の御用を中心として制作を行なっていた「帝室技芸員制度」は廃止されます。そして、あらためて創り出されたのが、一般に「人間国宝」と呼ばれている、「重要無形文化財制度」です。ここでは、この「人間国宝」について解説します。
重要無形文化財・雅楽
重要無形文化財は、読んで字の通り、形はないけれども重要な文化財、という意味です。
それはいったい何なのでしょうか?歴史的価値の高い建物や、美しい芸術作品、それに見事な出来の名刀などは形のある文化財、つまり有形文化財です。
これに対して、人形浄瑠璃や文楽、能楽といった演劇の名優・名演者、箏曲・長唄三味線など音楽の名演奏者、それに工芸品を作る達人、言うまでもなく名刀を鍛え上げる刀匠など、形にできるものではないけれども日本の伝統的な文化を継承していくうえで欠くことができない技能こそが「無形文化財」なのです。
そして、その卓越した技能を持つ人(保持者)を顕彰・保護し、その技能を継承していくための手段として重要無形文化財としての技能を指定し、それを持つ人物を重要無形文化財保持者に認定するという制度が、1950年(昭和25年)成立の「文化財保護法」のなかで定められました。
次に、その主な内容を挙げます。
「第六十七条 無形文化財のうち特に価値の高いもので国が保護しなければ衰亡するおそれのあるものについては、委員会は、その保存に当ることを適当と認める者に対し、補助金を交付し、または資材のあっせんその他適当な助成の措置を講じなければならない。」
この法律が成立し施行されたあと、1954年(昭和29年)には第一次改正が行なわれて重要無形文化財の指定、及び保持者の認定制度が同法に規定されました。
同時に具体的な認定の条件を定めた「重要無形文化財の指定並びに保持者及び保持団体の認定の基準」も設けられ、改正前の第六十七条「衰亡するおそれ」のある技能という前提があったものが撤廃され、それまでの重要無形文化財保持者認定はいったん白紙に戻し、あらためて再認定することとなります。
次にその基準のうち、作刀に関する内容を挙げておきましょう。
第一 重要無形文化財の指定基準
〔工芸技術関係〕
陶芸、染織、漆芸、金工その他の工芸技術のうち次の各号の一に該当するもの
(一) 芸術上特に価値の高いもの
(二) 工芸史上特に重要な地位を占めるもの
(三) 芸術上価値が高く、または工芸史上重要な地位を占め、かつ、地方的特色が顕著なもの
第二 重要無形文化財の保持者または保持団体の認定基準
〔工芸技術関係〕
保持者
一 重要無形文化財に指定される工芸技術(以下単に「工芸技術」という。)を高度に体得している者
二 工芸技術を正しく体得し、かつ、これに精通している者
三 二人以上の者が共通の特色を有する工芸技術を高度に体得している場合において、これらの者が構成している団体の構成員
保持団体
工芸技術の性格上個人的特色が薄く、かつ、当該工芸技術を保持する者が多数いる場合において、これらの者が主たる構成員となっている団体
これによって1955年(昭和30年)に最初の重要無形文化財の指定とその保持者の認定が行なわれます。
審議・議決は文化審議会文化財分科会が行ない、文部科学大臣が指定・認定を決裁する形で、認定された保持者には年200万円の補助金が交付される他、団体に対しては経費の助成が行なわれるようになりました。
戦後の伝統技能保護制度はこうして完成し、保持者は一般的に「人間国宝」と呼ばれるようになっていったのです。
重要無形文化財保持者、すなわち「人間国宝」に認定された日本刀関係者をご紹介しましょう。まずは刀工です。
月山貞一
「帝室技芸員」の章で登場した「月山貞一」(がっさんさだかず)は、戦前を代表する名刀工でした。
彼の子「月山貞勝」(さだかつ)、孫の二代・月山貞一(さだかず)と大阪の月山派はその後も名匠の系譜が続き、ここでご紹介する二代・月山貞一は1971年(昭和46年)に重要無形文化財保持者に認定されています。それでは、その経歴を見てみましょう。
二代・月山貞一は、1907年(明治40年)大阪市東区(現在の大阪市中央区)鎗屋町で生まれました。本名は「月山昇」(がっさんのぼる)です。
父・月山貞勝から刀工としての技術を学び、父と共に「伊勢神宮」の式年遷宮宝刀や「昭和天皇」の日本刀も鍛え上げ、戦後は日本刀の冬の時代を乗りきり、1967年(昭和42年)現代刀の新作名刀展で日本最高の栄誉とされる正宗賞を受賞するなど活躍して、1971年(昭和46年)に重要無形文化財保持者に認定されています。
月山派にとどまらず五箇伝、大阪新刀と幅広い作風を修得し使いこなした二代・月山貞一は、海外にもその名を広め、1995年(平成7年)87歳で世を去りました。
1936年(昭和11年)松山で鍛錬場を開き、戦後は皇室などのために日本刀を鍛え、特に1951年(昭和26年)には「伊勢神宮」の式年遷宮の宝刀を鍛造しています。1955年(昭和30年)、刀工として初めて重要無形文化財保持者の認定を受け、1968年(昭和43年)66歳で死去しました。
備前伝の丁字刃文の作風が特徴で、また刀身彫刻にもすぐれた技術を発揮した名刀匠です。
映というのは、刀身の地肌の中に刃文の乱れに添って、その影のように息を吹きかけて曇ったような白い霞(かすみ)模様が浮かびあがって見えることで、その特徴を持つ代表が備前刀でした。
隅谷正峯は、「隅谷丁子」(すみたにちょうじ)と呼ばれる美しい丁字の刃文も生み、1981年(昭和56年)重要無形文化財保持者の認定を受けます。女性皇族の守り刀も手がけ、日本美術刀剣保存協会長賞の受賞歴もあります。1998年(平成10年)死去、享年77歳。
天田昭次
「天田昭次」は1927年(昭和2年)、新潟県新発田市に生まれました。本名は「天田誠一」(あまたせいいち)と言います。
1940年(昭和15年)、東京市赤坂区氷川下の日本刀鍛錬伝習所に入り、終戦まで日本刀の鍛造を学びます。
この伝習所は衆議院議員の「栗原彦三郎」(くりはらひこさぶろう)が自邸(「勝海舟」の屋敷跡)の中に開いた物で、栗原彦三郎自身も「栗原昭秀」(くりはらあきひで)の名乗りを持つ刀工でした。
相州伝の作刀を中心に、鍛造用の鉄から自家製で用意するというこだわりぶりで、正宗賞を3回にわたって受けるという偉業を果たし、その間に全日本刀匠会理事長に就任したあと、1997年(平成9年)、重要無形文化財保持者に認定されました。
「伊勢神宮」の式年遷宮に奉納される宝刀の鍛造を3度担当し、2013年(平成25年)、85歳で世を去っています。出身地の新発田市には、「刀剣伝承館 天田昭次記念館」が建てられ、その作品を観ることができます。
祖父・父と2代続いた鍛冶屋の生まれで、刀工となるため高等小学校(現在の中学校)を卒業すると1937年(昭和12年)上京し、「栗原彦三郎(昭秀)」の日本刀鍛錬所に入り、師範の笠間一貫斎繁継に師事するとたちまち頭角を現しました。
1940年(昭和15年)日本刀匠協会の展示会で文部大臣(現在の文部科学大臣)賞を受け、「宮入昭平」(あきひら)と名乗ります。
戦時中は、「伊勢神宮」の式年遷宮の宝刀を鍛え、戦後の1955年(昭和30年)から日本美術刀剣保存協会の美術審査会特賞を5回連続で受けました。1963年(昭和38年)、重要無形文化財保持者の認定を受け、1977年(昭和52年)64歳で世を去っています。
1952年(昭和27年)、大隅俊平は20歳で西へ150km離れた、長野県埴科郡坂城町の「宮入行平(当時は昭平)」のもとに赴いて入門し、刀工としてのスタートを切り、1960年(昭和35年)富沢に戻り、独立。1974年(昭和49年)、新作名刀展で正宗賞を受賞。その後も2度正宗賞に輝いています。
皇族の「高松宮」(たかまつのみや)様の御守刀や「伊勢神宮」の宝鉾などを鍛え上げ、1997年(平成9年)重要無形文化財保持者の認定を受けました。
その作風は、鎌倉時代後期の山城伝・来派(らいは)や、同じく鎌倉時代後期の備中伝・青江派(あおえは)を追求するもので、直刃を特徴としました。
2009年(平成21年)、77歳没。太田市由良町にはその作品を展示する「大隅俊平美術館」があります。
研師
彼ら「人間国宝」の刀匠は、戦前からの第一人者・初代「月山貞一」が新々刀の名工として活躍するなど、新しい時代の日本刀を作ろうと励んだのとは路線を異にして、古刀の名物を理想とし、それに追いつくことを目標として研鑽を続けたのです。
また作刀では最終工程となる研ぎも、一流の技術とすぐれた道具を必要とする立派な技能。
重要無形文化財では日本刀の研磨もその対象とされ、室町時代から日本刀の研ぎを伝承し続けてきた本阿弥家の養子に入った「本阿彌日洲」(ほんあみにっしゅう:1975年[昭和50年]認定)と、その子「本阿弥光洲」(ほんあみこうしゅう:2014年[平成26年]認定)、四天王寺蔵の「丙子椒林剣」「七星剣」の研磨を行なった「小野光敬」(おのこうけい:1975年[昭和50年]認定)、「来国光」(らいくにみつ)などの研磨を行なった「藤代松雄」(ふじしろまつお:1996年[平成8年]認定)、「山伏国広」(やまぶしくにひろ)などの研磨を行なった「永山光幹」(ながやまこうかん:1998年[平成10年]認定)の5名が「人間国宝」として多くの古刀・新刀を研ぎ上げ、後身の育成にも力を注ぎました。
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