「刀 無銘 當麻」を作った当麻派(たいまは)は、奈良県北葛城郡当麻町の当麻寺に所属する刀工集団で、大和伝の一派です。正応元年(1288年)頃、国行(くにゆき)が興したと伝わります。当麻寺は、相撲の祖とされる当麻蹴速(たいまのけはや)や、横佩大臣(よこはぎのおとど)の娘・中将姫(ちゅうじょうひめ)が当麻寺で出家し、蓮糸を用いて一夜で織り上げたと言う「当麻曼荼羅」(たいままんだら)の伝説で有名です。
五箇伝(ごかでん)のなかで最も古い歴史を持つ大和伝は平安京遷都により一時衰退しますが、平安時代中期以降、仏教の中心地である大和国では僧兵(そうへい:武装した僧侶)が活躍し、彼らが使用する武器として刀の需要が増大したことから、大和伝が再興します。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、大和国では千手院派(せんじゅいんは)、当麻派、手掻派(てがいは)、尻懸派(しっかけは)、保昌派(ほうしょうは)の「大和五派」(やまとごは)と呼ばれる刀工集団が繁栄し、いずれも寺院に所属していました。
本刀は、反りやや浅く、中鋒/中切先(ちゅうきっさき)、大和物に特徴的な鎬(しのぎ)高く鎬幅(しのぎはば)が広い姿。地鉄(じがね)は地景(ちけい)が入った板目肌(いためはだ)。刃文(はもん)は中直刃(ちゅうすぐは)に沸(にえ)がよく付いており、喰違刃(くいちがいば)が交じり、ほつれや砂流し(すながし)が掛かります。当麻国行(たいまくにゆき)の有銘作に近い出来映えです。帽子は小丸で先が掃掛け(はきかけ)。茎(なかご)は大磨上げ(おおすりあげ)の切りで、目釘孔(めくぎあな)は2つです。