本太刀(たち)は、鎌倉時代末期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「長船景光」(おさふねかげみつ)と「長船景政」(おさふねかげまさ) の合作刀です。
播磨国(現在の兵庫県南部)の地頭職を務めていた「大河原時基」(おおかわらときもと)が、1329年(嘉暦4年)に長船景光らを呼びよせて作刀させたと言われる太刀で、刀身(とうしん)には「備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政 嘉暦二二年己巳七月日」と、非常に長い銘文が切られています。
長船景光は、刀工一派「長船派」の3代目。長船景政は、その親族または弟子です。長船景光の作は、長船派のなかでも美しく、鮮やかと言われる地鉄(じがね)に、直刃調(すぐはちょう)、小丁子乱れ(こちょうじみだれ)と呼ばれる刃文(はもん)が見られ、非常に雅です。長船景政は、現存在銘作が非常に少ない刀工ですが、作風は長船景光に似ていると言われています。
大河原時基は、できあがった本太刀を兵庫県姫路市の「廣峯神社」(ひろみねじんじゃ)に奉納。現在は、埼玉県さいたま市の「埼玉県立歴史と民俗の博物館」が所蔵しています。