康継は、1553年(天文22年)に近江国(現在の滋賀県)の赤坂千手院・広長の子として生まれました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの同年、結城秀康(徳川家康の次男)の抱鍛冶となり、1606年(慶長11年)、徳川家康より「康」の字を賜り康継と改名、同時に葵紋を切ることを許されます。熱田神宮に康継が奉納した脇差(重要文化財)の茎に、この事実が彫られています。
大坂の役には二度とも従軍し、徳川家康の指示により大坂城落城にて焼身となった数々の名物や天下の名刀類を見事に再刃(再生)させました。それらは現存しており、焼けていなければ国宝に指定されていたと言われています。本刀には「二つ胴」(罪人の死体を2つ重ねて切断した)と切れ味を試したことが中心に刻まれているのも特徴です。