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江戸時代
とうどうたかとら はんもつ 藤堂高虎 判物 /ホームメイト

戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した戦国大名「藤堂高虎」(とうどうたかとら)の判物です。
「判物」とは、上位の者が花押などの判を付して発給した文書のことを指し、 感状(かんじょう)や所領安堵などの際に用いられました。
藤堂高虎は、「豊臣秀吉」の異父弟「豊臣秀長」(とよとみひでなが)や、「徳川家康」に仕え、築城の名人であったことでも知られています。伊予今治藩(現在の愛媛県今治市)藩主からのちに転封され、伊勢津藩(現在の三重県津市)の初代藩主となりました。
本判物は、家臣の「斎藤茂左衛門」に宛てた文書と見られ、1621年(元和7年)12月12日の日付が記されています。内容は、伊勢国伊船野田村(現在の三重県鈴鹿市)・星合村(現在の三重県松阪市)のうち200石を扶助として与える、法度書(はっとがき:おきてを記した書)の通りすべて領知(りょうち:土地を治めること)するように、というものです。
本判物が発給された当時、藤堂高虎は京都に滞在していたと考えられており、藤堂高虎の動向を知る上でも、また知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう:主君から家臣へ与えられた文書)がどのような経緯・手順でなされるかを研究する上でも貴重な史料となっています。
