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室町時代 後期
うえすぎけんしん きたじょうかげひろあて 上杉謙信 北条景広宛 /ホームメイト

「上杉謙信」は、越後国(現在の新潟県)の大名であり、「武田信玄」と5度にわたり「川中島の合戦」で争った戦国武将です。
本書状は、1570年(元亀元年)に仏門に入ってのちに称した「謙信」の署名があることから、それ以後に記されたとされています。
その当時、室町幕府15代将軍「足利義昭」(あしかがよしあき)と「織田信長」が対立。足利義昭は、「武田信玄」、「浅井長政」(あざいながまさ)、三好氏、「比叡山延暦寺」(ひえいざんえんりゃくじ)、「本願寺」、毛利氏などと連絡を取り、対する織田信長は、「徳川家康」と組んでいました。
このような状況のなか、丹後守「北条景広」(きたじょうかげひろ)より、上杉謙信へ要望があったと考えられています。しかし、上杉謙信自身、北条景広から譲り受けた関東の経営と、自国の運営、さらには軍事面での問題も山積していたため、この要請にも応えることができませんでした。
