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さたけよしのぶしょじょう うめづなかうえもんあて じゅうがつじゅういちにち 佐竹義宣書状 梅津中右衛門宛 十月十一日 /ホームメイト

出羽国久保田藩(現在の秋田県)初代藩主の「佐竹義宣」(さたけよしのぶ)が、家臣「梅津中右衛門」(うめづなかうえもん)に宛てた書状です。本書状の作成年は不詳ながら、後半部に江戸幕府老中の「土井利勝」(どいとしかつ)や「酒井忠世」(さかいただよ)が訪問してきたことが書かれるため、佐竹義宣が江戸滞在時に国元へ送った物と考えられます。
書状の内容を多く占めるのは、鷹狩(たかがり)に用いる鷹についての連絡と注意。藩領内で鷹が多く捕まったとの連絡に満足した佐竹義宣が、自分のいる江戸へ3羽送ってほしいことと、国元で残す鷹は目顔立ちの良いものとし、気性が激しい鷹は適当でないこと、また、これから冬になるので鷹に与える水や餌を切らさないようにすることなどが細かく記されます。その他、明言されていませんが、江戸幕府3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)が初めての鷹狩で捕えた2羽の鶴を佐竹義宣が拝領した、と読める記述もあります。
佐竹義宣は大名のなかでもとりわけ鷹狩を好み、久保田藩に在国中は鷹狩に多くの時間を割き、江戸滞在時にもたびたび鷹狩へ出かけました。江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)との間でも鷹を贈り合い、参勤交代の経路の各所に鷹場(たかば:鷹狩を行う場所)を与えられるなど厚遇を受けました。その背景として、関ヶ原の戦いで西軍に付き、戦後に常陸国(現在の茨城県)から久保田藩へ移された佐竹義宣が、江戸幕府との関係を良好にする方策として鷹狩を活用したとも考えられています。
