矢籠・矢屏風・弓具
江戸時代
みつばあおいもんうつぼ 三つ葉葵紋空穂/ホームメイト

「三つ葉葵紋空穂」は、全体を黒漆塗とし、矢を収める長い穂(ほ)の部分と、矢の取出口である竈(かまど)を覆う間塞(まふたぎ)の2ヵ所に三つ葉葵紋をあしらった塗空穂(ぬりうつぼ)。丁寧な漆塗に金蒔絵(きんまきえ)の三つ葉紋が映えます。
空穂は矢を携帯するための弓具の一種ですが、同じ用途の箙(えびら)や矢籠(しこ)などとの大きな違いは、矢全体を収納できる形であることです。平安時代にはすでに存在しましたが、武具として広まったのは室町時代以降。収納本数は7本から11本ほどであり箙よりは少ないですが、変形や破損から矢を保護できるのが特長です。
表面を漆塗にした物は塗空穂、毛皮を張った物は皮空穂(かわうつぼ)と呼ばれます。古くは竹の網代編(あじろあみ)で作りましたが、江戸時代には部屋を飾るインテリアとして紙の張抜(はりぬき)を下地とし、本空穂のように黒漆塗に金蒔絵の家紋で仕上げる例が増えました。
本空穂の三つ葉葵紋は、上の葉1枚と下の葉2枚で葉脈の描き方が異なります。
江戸時代、徳川氏の三つ葉葵紋は権威が上昇し、徳川・松平氏一族の親藩すらも使用を厳しく制限されました。葵の葉を表と裏に描き分けることで、将軍家と各御三家の区別を付けたとも言われます。




