【あらすじ】近藤勇と手合わせすることになったタケルだが、道場に隊士が駆け込み『闇の者』の出現が告げられる。新撰組はタケルを残して『闇の者』の対処に向かったが、来襲の知らせが収まり屯所へと引き上げる途中、また『闇の者』が現れた。その『闇の者』はこれまでの『闇の者』とは違っていたため、戸塚小春子の知らせを受けたタケルは、すぐに屯所を飛び出し参戦する。そして、見事タケルは『闇の者』を討ち倒したのだった。
「刀剣三十六遣使」で描かれる出来事について紹介
「良きにつけ悪しきにつけ、まったくとんでもない男だ」
庭先で座禅を組むタケルを横目に、土方歳三は言葉をこぼした。
タケルは『闇の者』を倒したあと、すぐに修行に入った。再び座禅を組んだまま過ごす日もあれば、何を思い立ったか神刀を手に素振りを繰り返す日もある。ときたま隊士に挑まれ、木刀で勝負することもあるが、タケルには誰もが子ども扱いされてしまう。
実際のところ、新撰組は会津藩預かりの治安部隊とは言っても非正規部隊ではあったし、言い替えれば、各地から流れてきた浪人や武士を志す若者の寄せ集めに過ぎない。ただ寄せ集めとは言え、隊士を志望する者は、いずれもその土地では名の知れた猛者ではあった。
そんな隊士達を、タケルはいとも簡単に倒してしまう。倒された側はおそらく何をされたかも理解できまい。さらに質が悪いことに、タケルはある程度の時間、隊士達の技量に合わせて相手をするものだから、余計に相手を逆上させてしまう。そこで再度挑む気構えがあれば良いが、ほとんどの隊士は一旦素に戻ると、あまりの技量の差に愕然として、自信を失ってしまう。
結果としてその隊士は新撰組を離れることになる。すると、ただでさえ人材不足気味の隊士にさらに空きができることになる。
「タケル殿の技量が計れないのであれば、その程度の者なのだろう。まして1度や2度の敗北で心が折れるなら、これ以上技量が伸びるはずもない。そんな輩は早めに隊を去るのが一番だ」
近藤勇は、そうこともなげに言うが、事実上、隊をまとめる土方歳三からすればたまったものではなかった。タケルや『闇の者』といった常軌を逸した存在は別として、戦場では基本、手駒の数が勝負を決する。もちろん水準以上の技量が必要なのは当たり前として、自信がなくなったからと、隊を離れられてはたまったものではなかった。
無論、タケルは親切心で隊士の相手をしているのだろうが、土方歳三としては正直なところ余計なことはしてくれるなと頼みたい気分だった。
それでも、タケルを宿舎から追い出す気にはなれなかった。そもそもは近藤勇が自ら招いた賓客ではあるし、彼自身も性格の良い好青年であったからだ。しかもタケルの修行を見ていると、土方歳三自身も何かと学ぶものがある。
「タケル、ちょっとやってみろよ」
気付くと、タケルが神刀を手に立ち上がっていた。まるで何かに引きずられるように、庭に立つ。彼の視線の先には庭の片隅に設えた巻藁があるが、20尺(約6メートル)以上も距離が離れている。
「一体何をするつもりなのか?」
土方歳三は彼らの仕草から目が離せなくなった。
「え?嫌だよ。まだきちんと制御できるか自信ないんだから」
「大丈夫だって、座禅で充分気も練れているし、1度だけ。1度だけで良いからやってくれないか」
「もう、仕方ないなぁ」
タケルは千歳丸を抜いて正眼に構える。刀に使われる剣士など聞いたこともない。思わず吹き出しそうになる土方歳三だが、何とかこらえた。彼らの尋常ならざる強さは先日、目の当たりにした。そんな彼らが何か新しい技を試すと思えば、一部始終を見届けたくなった。
凝視する土方歳三の前で、千歳丸を振り上げるタケルの気が膨らんでいく。あまりにも巨大な気の塊は、見ている土方歳三を圧倒した。
「はっ!」
気合いとともにタケルは千歳丸を振り下ろす。その刹那、閃光が土方歳三の視力を一時的に奪った。次いで強い風のような衝撃が全身を襲う。
「うおっ!」
たまらずその場に倒れ込む。気付けば、目の前の巻藁が土台ごと縦に真っ二つにされていた。
「まーまー良い感じじゃないか」
「いや、まだダメだよ。構えている時間がもったいない。もっと早くというか、とっさに撃てなきゃ」
「そりゃそうだな、でないと隙が突けないもんな」
結果にひとまず満足したのか、タケルが離れに引き上げていく。入れ代わるように近藤勇と沖田総司が土方のもとへと駆け寄ってきた。
「なんだ、何が起きた!?」
説明する気にもならなかった。土方歳三自身、目の前で起きた事態が信じられなかった。
「気の力のみで巻藁を割るとは、いったい彼は何なのだ!?」
それだけを自分だけに聞こえる声で呟く。土方歳三は小刻みに体を震わせながら、今しがた目にしたタケルの技を心の中で振り返った。
文政12年4月6日(1829年5月8日)。
この日は朝から屯所への隊士の出入りが活発だった。新撰組の隊士が攘夷派に関する何か重要な発見をしたらしい。タケルが離れで座禅を組んでいると、庭に近藤勇と土方歳三が姿を見せた。聞けば攘夷派の古高俊太郎を、隊士の山崎丞と島田魁が捕縛したという。
「古高は長州藩の間者でな。この近辺だと枡屋喜右衛門と名乗っていた。実は以前から目を付けていたのだが、昼に屋敷へ踏み込んだところ大量の武器や長州藩との書簡が見付かったのだ。どうやら本日の夕刻、池田屋という旅籠で攘夷派の会合があるらしい。我々は現地に向かい、その場を押さえるつもりだ」
近藤勇が興奮しきった顔で得意げに語る。彼らはどのような手段で情報を聞き出したのだろう。気になったタケルは近藤勇に聞いた。
「その情報はどうやって聞いたのですか?」
「もちろん拷問に決まっている。この手の荒事は土方が得意でな」
「拷問だって!?」
脳裏に鞭打ちや石抱き、水責めなどを思い浮かべ、タケルは思わず震え上がった。
「いやいや、そんな古めかしいことなどせぬよ。もっと効果的な方法だ」
「古高をそこの倉の2階から吊してだな、足の甲に五寸釘を打った。さらに貫通した足に溶けた蝋を垂らして――」
想像を超える内容に、タケルは自分の顔から血の気が引くのを感じた。
「どうしたタケル殿。貴殿が責め苦を受けるわけでもあるまい」
意地悪な顔で近藤勇が聞く。よほどタケルの青ざめた顔が面白かったのだろう。あるいはこれまで驚かされるばかりだった彼の意趣返しかもしれない。
「で、でも……」
「ほう、『闇の者』をこともなげに倒してのける剣士と言えど、無抵抗の人間を責めるのは不得手と見える」
「不得手と言うか、はっきり言って苦手です」
タケルは素直に答えた。自分が剣を振るうのはあくまでも『闇の者』を退治するためであり、生きた人間を相手に使うつもりは毛頭ない。自分が授けられた力は特別であると自覚していたし、なによりタケルが自らの欲望のために神刀を振るうのは、千歳丸自身が許さないだろう。
「人にはそれぞれ、己が信じる道があるということだ」
土方歳三がすべてをわきまえた顔で頷いてみせる。
「俺達には俺達の信じる道があり、タケル殿にはタケル殿が信じる道がある。いまはたまたまそれが重なっただけのことよ」
「いずれにせよ、新撰組はこれから池田屋に向かう。まさかタケル殿、それを止める気ではなかろう」
タケルには止める気はなかった。もし止めても新撰組は池田屋襲撃を決行するつもりだろうし、無理に止めたとしてもそれは歴史を改変する行為に他ならない。それでも心に何かが引っかかる。
「もしかしたら、それこそ羅刹魔将の狙いかも知れません」
タケルは思いきって口を開いた。近藤勇が先を促す。
「……どういうことだ、タケル殿」
「つまり、新撰組が池田屋を襲撃しますよね。それをきっかけに大乱を起こすつもりなのではないでしょうか。羅刹魔将は顕現したと言ってもまだ完全な姿ではありませんでした。完全体となって、より多くの力を行使するにはまだ大量の魂を必要とするはずですから、何かの事件をきっかけに大乱を起こし、多くの死者を生み出すことが目的だとしてもおかしくはありません」
「つまり、このたびの我らの襲撃がきっかけとなり、日の本にとって、引いてはこの世に最悪の事態を招くということか」
近藤勇が困惑した顔で唸るように言った。
「だとしても、俺達は、新撰組は、幕府転覆の企てを看過できぬ」
土方歳三は、タケルの話を否定するように言い放った。タケルの発言は理解できる。だが、歴史を理由に攘夷派を放置すれば、新撰組の存在価値がなくなる。それは正規の侍として身を立て、出世を望む土方歳三としてはとうてい認められないところだ。
「新撰組は京都守護と会津藩、そして将軍家のために忠節を尽くす組織だ。大局的に見ればそれが世の中のため、帝のためでもあると俺は信じる!」
「その通りだ。だが俺達の行いが日の本に最悪の事態を招く引き金となっては……」
「まさか近藤、臆したなどとは言うまいな」
土方歳三は近藤勇を睨み付ける。
「日の本に最悪の時代を招く?それは羅刹魔将のことだろう!それなら案ずることはない。そんな輩はタケル殿が排除してくれる。そうだろうタケル殿!」
「もちろんです」
タケルは力強く断言した。自分は間違いなく、そのためにいる。池田屋事件は止められないものの、羅刹魔将による介入は何としても防がねばならない。
「ならばなにも問題ないではないか。近藤は考えすぎだ」
近藤勇は少しの間、何かを考えるように天を向いていたが、やがて何かを吹っ切るように土方歳三達に告げた。
「悪かったな。確かに俺は躊躇した。だが土方の言う通り新撰組は京の治安維持のために存在する。無用の争乱を防ぐためにも、池田屋に集まる攘夷派を潰すぞ!」
方針が決まると、新撰組の動きは早かった。普段から治安維持の見回りを繰り返しているせいか、手際よく襲撃の準備を整える。
「では行こう、目標は三条木屋町の旅籠、池田屋だ!」
近藤勇の命令の下、新撰組の実働部隊が屯所をあとにする。タケルは山南敬助達屯所守備と一緒に遺してきた。先ほどのように不用意な言動で近藤勇の心情をかき乱されてはたまらなかったからだ。とは言え羅刹魔将の出現に備え、遣使(けんし)の戸塚小春子は連れて行くことにした。
新撰組一行は壬生村の田園地帯から寺社町に入り、繁華街のある左京区に向けて進行する。すでに日も暮れているせいか、人通りはほぼなく、町中はひっそりしたものだった。
「……どうもおかしい」
土方歳三は周囲を見回すと呟くように言った。『闇の者』のような魑魅魍魎をはじめ、強盗がはびこる世の中だ。人の往来が少なくなるのはやむを得ないが、それにしてはあまりにも静かすぎる。
「うむ、それに妙な気配が漂っている」
近藤勇も異変に気が付いていたようだ。隊に進行を止めるよう合図すると、警戒心もあらわに周囲を見渡す。
「むっ、何か来る!」
前方に不穏な気配を感じ、土方歳三は愛刀の和泉守兼定を腰だめに構えた。周囲にいた近藤勇と沖田総司もそれぞれいつでも抜けるよう佩刀に手をかける。不穏な気配は濃度を増し、これまでにないほどの邪気となって周囲一帯に立ちこめる。邪気はやがて渦を巻いて人の形を形成し、禍々しい武将の姿となって結実した。
「ついに我が野望、成就のとき……!」
臓腑に響くような邪悪な声が周囲に響く。
「うっ……」
「何という邪気だ……」
土方歳三は思わず口を押さえた。吐き気を催すような醜悪な空気だ。
「貴様が羅刹魔将か!」
近藤勇が何とか口を開く。
「そうだ。お主がこの時代の遣使(けんし)か」
「であればどうする。ここで一戦交えるか」
近藤勇が虎徹を抜き放つ。止める間もなかった。局長が刀を抜いては戦う以外の選択肢はない。土方歳三はこのとき初めて勝ち目のない戦に身を投じる覚悟を決めた。戸塚小春子に目配せで合図すると、彼女が小さく頷き姿を消した。
「くっくっく……、そうだ、早く呼んでこい。神刀とその使い手をな」
戸塚小春子の動きを制するでもなく、羅刹魔将は低く笑う。
「ただ待つのも退屈だろう。俺達が遊んでやるよ」
「天然理心流の剣士の技、その身を持って味わうが良い」
土方歳三は近藤勇と共に羅刹魔将を挑発した。強がりなのは明らかだろう。それでも、タケル達が到着するまで、敵わないまでも足止めくらいはしなければならない。
だが羅刹魔将は、土方歳三達の強がりを鼻で笑うと意外な言葉を口にした。
「貴様らなどに用はない。早々に我の前から消えるが良い」
「何だと?」
「貴様らのなすことなど、我の関知するところではない」
自分達は道に転がる石ころと同じ扱いなのか。土方歳三は屈辱を感じた。だが、彼我の戦力差は人数や戦術で埋められるものではない。ここはあえて戦いを避け、本来の目的に立ち返るべきだ。
土方歳三は隊士達に進軍を合図する。気付いた近藤勇が土方歳三を睨み付けるが、すぐに意図を察したのだろう。虎徹を鞘に収めると遠巻きに羅刹魔将の横を通り過ぎた。
「そうだ、勝てぬと分かりきった相手に無駄な戦いを挑むものではない」
羅刹魔将は新撰組を嘲笑する。しかしすぐに笑声を止めると、壬生村の方角に向き直った。
「だが、貴様はそうは行かぬ」
ふと土方歳三も羅刹魔将と同じ方向を見る。そこには屯所にいたはずのタケルが戸塚小春子を伴って立っていた。
「土方さん、タケルさんが新撰組のすぐ後ろを歩いてたみたいで」
戸塚小春子は土方歳三に向かって叫ぶと、タケルに言われ、すぐにその場を離れた。
「近藤さん、土方さん、すぐにこの場を離れて下さい。あとは僕が引き受けます」
「くくく、威勢の良い物言いであるな小僧。少しは成長したか」
「さあ、どうだろう。戦えば分かるんじゃないかな」
暗闇でタケルと羅刹魔将が対峙する。土方歳三は離れた場所で足を止めると、対峙する彼らを振り返った。
タケルは神刀を携えたまま、自然な立ち姿で羅刹魔将を睨んでいる。普段は見せない荒々しい表情は、頼もしくあると同時に、土方歳三に怖気立つものを感じさせた。
「そうか、ではここで倒され、我が野望の礎となるが良い」
「そうは行かない。ここで倒れるのはお前だ!羅刹魔将!」