織田信秀
「織田信秀」(おだのぶひで)は、天下人「織田信長」の父親であり、自身も「尾張の虎」(現在の愛知県西部)と称された戦国武将です。時代はまさに群雄割拠、下剋上の時代。
織田信秀は、父親の「織田弾正忠信定」(おだだんじょうのちゅうのぶさだ)から受け継いだ経済基盤と知略を武器に、勢力拡大を図ります。
駿河国(現在の静岡県中部・北東部)の「今川義元」(いまがわよしもと)や美濃国(現在の岐阜県南部)の「斎藤道三」(さいとうどうさん)と何度も交戦。
尾張国の完全支配は叶いませんでしたが、その夢は織田信長へと受け継がれていきました。
西暦(和暦) | 年齢 | 出来事 |
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1511年(永正8年) | 1歳 |
織田弾正忠信定(おだだんじょうのちゅうのぶさだ)の長男として生まれる。
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1526~ 1527年(大永6~7年) |
17~18歳 |
織田弾正忠信定が存命中に家督を継ぐ。
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1529年(亨禄2年) | 19歳 | |
1534年(天文3年) | 24歳 | |
1538年(天文7年) | 28歳 |
「那古野城」(なごやじょう)を攻略。
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1539年(天文8年) | 29歳 |
「古渡城」(ふるわたりじょう)を築城。
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1540年(天文9年) | 30歳 |
「伊勢神宮」遷宮のため、朝廷に銭700貫文と材木を献上。
朝廷から「三河守」に任命される。松平氏の「安祥城」(あんじょうじょう)を攻略し、庶子「織田信広」(おだのぶひろ)を城主に置く。 |
1542年(天文11年) | 32歳 |
「今川義元」と交戦「第一次小豆坂の戦い」で織田軍が勝利。
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1543年(天文12年) | 33歳 |
内裏の修繕費として、朝廷に銭4,000貫文を献上。
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1546年(天文15年) | 36歳 |
嫡男、吉法師が元服し「織田三郎信長」を名乗る。
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1547年(天文16年) | 37歳 | |
1548年(天文17年) | 38歳 |
松平氏・今川氏と「第二次小豆坂の戦い」勃発。織田軍は大敗を喫する。斎藤道三と和睦。「末森城」(すえもりじょう)を築城。
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1549年(天文18年) | 39歳 |
今川軍による「安祥城」の攻略、織田信広が今川軍の人質となる。今川軍と和睦し、松平竹千代と織田信広の人質交換が成立。
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1552年(天文21年) | 43歳 |
末森城にて病死。
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