どうする家康を見た刀剣ライターのつぶやき

どうする家康19話 側室問題で嵐到来か
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どうする家康19話 側室問題で嵐到来か どうする家康19話 側室問題で嵐到来か
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こんにちは!刀剣ワールドライターの甘味(かんみ)です。2023年(令和5年)5月21日(日曜日)に大河ドラマ「どうする家康」第19話「お手付きしてどうする!」が放送されました。「大河ドラマ『どうする家康』を見た刀剣ライターのつぶやきコンテンツ」では、刀剣ワールドライターが「どうする家康」を見て思い感じたこと、さらに同ドラマを楽しめる豆知識などをご紹介します。第18話の「真・三方ヶ原合戦」では、最強の武田軍団を率いた「武田信玄」でしたが、今週はそんな彼も死を迎えることに。そして「徳川家康」は、戦の疲れを癒やしつつ新たな側室問題が浮上します。第19話「お手付きしてどうする!」では、徳川家康と正室「築山殿」(つきやまどの)、侍女「お万の方」(おまんのかた:[長勝院])について迫りましょう。

武田信玄と武田勝頼の絆

武田勝頼

武田勝頼

前回、徳川家康の居城「浜松城」(静岡県浜松市)まで迫った武田軍でしたが、急に撤退を始めました。あと少しで徳川家康の首を取れたのになぜ?となりますよね。けれど武田信玄の調子が思わしくないことに気付いていた視聴者も多かったことでしょう。

死期を悟っていた武田信玄は、3年の間は自身が死んだことを隠すよう遺言をして永眠。息子「武田勝頼」(たけだかつより)に「お前は武田家の至高の逸材だ」とも言い残し、武田家の意志は武田勝頼に引き継がれることになります。

けれど武田信玄はもしかして亡くなったのではないか、といった情報は3年を待たずして即座に徳川家康や「織田信長」のもとに届くことに。電波もカメラもないのに、戦国時代の情報収集力ってかなり高いですよね。

そして織田信長は、武田家と通じていた室町幕府第15代将軍「足利義昭」(あしかがよしあき)を、京都から追放し、室町幕府は事実上終焉を迎えることになります。「裏切り者を許さない」というモットーの織田信長、将軍すらも許さないとは怖い男です。

お手付きしてしまった徳川家康

於万の方(長勝院)

於万の方(長勝院)

その他にも織田信長が反対勢力と戦をしているなか、徳川家康は浜松でのんびりと過ごしていました。三方ヶ原の戦いでは、命からがら逃げ延びたわけですから休息のひとつやふたつ構いません。もちろんお風呂で疲れを癒やすのも問題ありませんが、そのお風呂で侍女にお手付きするのは「ちょっと待った!」でしょう。

侍女・お万の方が身籠ったことで、重臣「石川数正」(いしかわかずまさ)や「酒井忠次」(さかいただつぐ)に、こってり叱られ、浜松城の家臣一同の知るところとなります。

そして「岡崎城」(愛知県岡崎市)から浜松城への移住を考え、様子を見に来た正室・築山殿の耳にも入ってしまいました。怒った築山殿に追いかけられる徳川家康が、物を投げられながら逃げ回り、応援や野次を飛ばす家臣達の寸劇が開始。筆者も真剣な状況だということを忘れて笑ってしまいました。

嫉妬に駆られた?それとも正室の役割?

築山殿

築山殿

そんな築山殿の怒りの理由は、別に「夫が知らない間に子供を作った」ことに対する嫉妬ではなく、正室として「自身が預かり知らないこと」だったからです。子供の出生率や、無事に成長する確率が非常に低かった当時、特に大名家の子は存続のため多ければ多いほど良いとされました。

しかしそれは、正室が承認した場合だけです。正室は、夫の妾や側室を、家柄や健康状態を加味した上で選ぶ権限を持っていたと言います。

DNA鑑定もない時代ですから、うっかり「ご落胤」(ごらくいん:正室以外の子)ができてしまえばお家騒動にもつながってしまうので、迂闊なことはできなかったのでしょう。お万の方は、築山殿の承認を得る前に子供を身籠ってしまったために、浜松城から退去することとなります。

嫉妬した築山殿がお万の方を木に縛り付けて「折檻」(せっかん:体罰など厳しく叱ること)したといった話もあるため、ドラマではお万の方が自らを木に縛り付け、築山殿に気が済むまで折檻して欲しいと口にする場面が見られました。

こうすることで築山殿はお万の方を責めることができなくなり、またお万の方も自ら身を引く慎ましい女性を演じることができます。築山殿はお万の方のことを「賢い女」と評し認め、僅かに友情が芽生えたようにも見えるシーンでした。

徳川家康のネーミングセンス

結城秀康

結城秀康

おそらくドラマでは説明がないだろうことでしょうが、お万の方は1574年(天正2年)に無事男子を出産。

浜松城外で出産したため徳川家康から認知はされませんが、対面したときに魚の「ギギ」に似ているからと、そのように名付けてしまいます。こう言ってはなんですが、ひどい名前でしょう。

この話を知ったとき、築山殿に気を遣ってかもしれませんが、徳川家康からの愛情が薄いのだと思いました。

けれど今回の大河ドラマの場合、本当に見たままの感想で名付けてしまいそうな予感がします。周囲からはギギでは不憫だからと「お義伊様」(おぎいさま)となり、そのあとは「お義丸」(おぎまる)といかにも武家の子息らしい名で呼ばれるように。

徳川家康から認知されるまで不遇の時代を過ごしますが、元服後は結城家の養子となり「結城秀康」(ゆうきひでやす)を名乗ります。江戸時代以降は、松平姓に戻って越前国(現在の福井県)越前藩初代藩主に就くなど、大出世するのです。

次回2023年(令和5年)5月28日(日曜日)のどうする家康

次回、第20話のタイトルは「岡崎クーデター」になります。武田家の新たな当主になった武田勝頼は、今度は岡崎にいる徳川家康の長男「松平信康」(まつだいらのぶやす)に策を仕掛けるようです。その魔の手は、息子の行く末を心配し岡崎に留まることを決めた築山殿にも迫ります。「岡崎東方之衆」と書かれた傘連判状(からかされんぱんじょう:一揆の証文)が予告画面に登場。これがいったい何を示すのか、来週も大きな騒動が起こりそうですね。

「どうする家康」のあらすじ一覧
NHK大河ドラマ「どうする家康」の各放送回のあらすじを一覧でご紹介します。
刀剣女子座談会
名古屋刀剣ワールドでは「刀剣女子座談会」を実施。日本刀や歴史を愛する女性達が刀剣に関する様々なテーマを話し合います。

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