馬標
江戸時代 後期
だきぎょうようもんはたじるし 抱杏葉紋 旗標/ホームメイト

「旗標」とは、戦場で武将(大将)が自分の所在を明示するために、長柄の先に付けた標のこと。一般的に旗の形をした物、または家紋が施された物を旗標、もしくは「馬標」(うまじるし)と呼びました。
本旗標は、佐賀藩(現在の佐賀県)の藩主、鍋島家に伝来し、大名行列時に使用された物です。
金色の鍋島家家紋「抱杏葉紋」と真っ赤な7枚の布飾りが特徴。抱杏葉紋は、元々は鎌倉時代に公家の家紋として用いられ、室町時代には武家に、中でも豊後(現在の大分県)の戦国大名「大友家」の家紋として広まりました。
ところが、1570年(元亀元年)の「今山の戦い」で、「大友宗麟」(おおともそうりん)が、のちに佐賀藩祖となる「鍋島直茂」(なべしまなおしげ)に敗北。
以後、大友家は衰退し、鍋島家が戦勝記念に、この美しい家紋を定紋としたのです。鍋島家の栄華が伝わる立派な1本です。