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安土桃山時代
だてまさむね じひつしょじょう 伊達政宗 自筆書状 /ホームメイト

本状は、出羽国(現在の山形県、及び秋田県)と陸奥国(現在の東北地方北西部)の戦国大名であり、仙台藩(現在の宮城県仙台市)の藩祖にもなった「伊達政宗」の自筆による書状です。
宛名にある「かすか」は、江戸幕府3代将軍「徳川家光」の乳母であった「春日局」(かすがのつぼね)のこと。もともとは「斎藤福」(さいとうふく)と名乗っていましたが、1629年(寛永6年)に朝廷より「春日局」の称号を下賜されました。
本状に「丹後殿」(たんごどの)の通称で登場する人物は、真岡藩(もおかはん:現在の栃木県真岡市)2代藩主の「稲葉正勝」(いなばまさかつ)。春日局の息子であった稲葉正勝は、徳川家光の老中として幕政を支えていましたが、1634年(寛永11年)1月に亡くなっているため、本状は1630~1633年(寛永7~10年)の間に発給されたと推測が可能です。
本状には、徳川家光の鷹狩りに伊達政宗が随行した際、稲葉正勝に初めて会い、心尽くしの歓待を受けたので、そのお礼を伝えてほしい、さらには書状だけでは感謝の意のすべてを表すことができないとして、仙台の酒を献上する旨が書かれています。「親父殿」と呼ぶほどに徳川家光が慕っていた、伊達政宗との親しい関係が垣間見える書状です。
