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安土桃山時代
まえだげんい しょじょう 前田玄以 書状 /ホームメイト

本状は僧侶出身でありながら、「織田信長」や「豊臣秀吉」といった名立たる武将達に仕えた「前田玄以」(まえだげんい)が、「鳥居小路」(とりいこうじ)宛に送った書状です。
鳥居小路は、「青蓮院門跡」(しょうれんいんもんぜき:京都市東山区)の坊官を務めた人物。この頃、豊臣政権における「五奉行」(ごぶぎょう)のひとりでもあった前田玄以は「民部卿法印」(みんぶきょうほういん:「民部卿」=民部省の長官、「法印」=僧侶に与えられた称号)の官位を賜っており、公家や寺社との折衝役を担当していました。
前田玄以が同官位を叙任されたのは、1584年(天正12年)であったことから、本状は、それ以降に発給されたと推測されているのです。
本状で「大仏の儀」として言及されているのは、豊臣秀吉が造営を計画した「東山大仏」にまつわる事柄であったと考えられています。東山大仏は、戦火で焼失した「東大寺」(奈良県奈良市)大仏の代わりとするために、豊臣秀吉がその建立を発願。その後、東山大仏を安置するための「方広寺」(ほうこうじ:京都市東山区)も創建されています。
本状には、「東山大仏に関連する仏堂などの建築物について、指示しようとは考えていますが、この書状では、その詳細を申し上げることはしません」という一文があることから前田玄以は豊臣秀吉の家臣として、東山大仏の普請(ふしん)を指揮していたことが確認できます。
