-
安土桃山時代
たけだしんげん はんもつ 武田信玄 判物 /ホームメイト

本状は、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名「武田信玄」が、「小幡孫十郎」(おばたまごじゅうろう:本名「小幡昌盛」[おばたまさもり])宛に発給した「判物」(はんもつ)です。
判物とは将軍や大名が家臣などに所領安堵を行う際、花押(かおう/絵のようにデザインした署名)などの自署を据えて通達した文書のこと。
「小幡氏」は、上野国(こうずけのくに:現在の群馬県)の大名であり、室町幕府の「関東管領」(かんとうかんれい)である「上杉憲政」(うえすぎのりまさ)に仕えていた一族でした。しかし、永禄年間(1558~1570年)の前半頃、「武田家」が西上野へ進軍したことをきっかけに、小幡氏は同家に臣従しました。
本状では、武田信玄が小幡氏に対し、上野国と武蔵国(埼玉県、東京都23区、神奈川県の一部)に領していた土地での利権を保障する代わりに、武田家と「北条家」(ほうじょうけ)が戦う際には反旗を翻すことなく、武田家への忠義を尽くすことを指示しています。
そのため本状には、駿河国(現在の静岡県中部、及び北東部)侵攻を経て、「北条攻め」に照準を合わせていた武田信玄が、その先兵(せんぺい:本隊の前方で、偵察などの任務を担う小部隊)となる小幡氏に領地を安堵することで、北条家との戦況を優位に展開させる目論見(もくろみ)があったと推測されているのです。
