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とくがわひでただしょじょうゆうきしょうしょう(ひでやす)あて さんがつここのか 徳川秀忠書状 結城少将(秀康)宛 三月九日 /ホームメイト

「徳川秀忠書状 結城少将[秀康]宛 三月九日」は、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)が、「結城秀康」(ゆうきひでやす)に宛てた書状です。
徳川秀忠は徳川幕府初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)の三男で、結城秀康は次男。兄の結城秀康が「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の養子となり、さらに「結城晴朝」(ゆうきはるとも)の養子となったため、弟の徳川秀忠が家督を継ぐことになりました。
本書状は、徳川秀忠が将軍になる前に書かれたもの。3行目と5行目以降が本文で、軍勢を揃えることを伝える内容となっています。
1行目・2行目と4行目は「追而書」(おってがき)。「尚々」と書き始められることから、「尚々書」(なおなおがき)とも言います。本来は本文のあとに書き添えるものですが、この書状のように本文の前に来たり、行間に書かれたりすることもありました。現在の追伸のような機能を持ちます。
