箪笥
未査定
ほうおうずかもんちらしまきえようだんす
(しまづけ・いけだけこんれいちょうどひん)
鳳凰図家紋散蒔絵用箪笥
(島津家・池田家婚礼調度品)/ホームメイト

本用箪笥は、1807年(文化4年)、鳥取藩(とっとりはん:現在の鳥取県)6代藩主・池田治道(いけだはるみち)の娘である弥姫(いよひめ)と、薩摩藩(さつまはん:現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部)10代藩主・島津斉興(しまづなりおき)の婚礼に際して整えられた調度品の用箪笥です。
弥姫は学問に優れ、信心深く、凛とした気品が備わった女性であったとされ、婚礼調度品には「四書五経」、「左伝」、「史記」などの歴史書が多くあり、いざというときに備えて甲冑(鎧兜)まで用意していたという逸話が伝えられています。
島津斉興との間には、のちに薩摩藩11代藩主となる長男の「島津斉彬」(しまづなりあきら)をはじめ、4男1女が生まれます。
大名家の正室は子育てを乳母に委ねるというのが通例でしたが、弥姫は子供達に自ら母乳を与えて養育し、歴史書を説いて聞かせ、薩摩藩の家臣から「賢夫人」と称され、尊敬されました。のちに幕末の名君と呼ばれる島津斉彬の人格形成には、母である弥姫の教育が大きく影響したようです。
本用箪笥は、池田家・島津家両家の家紋を散らし、煌びやかな金具が使用され、豪華な意匠の蒔絵(まきえ)で鳳凰(ほうおう)を装飾しています。
鳳凰は、中国古代思想に基づく架空の鳥で、鳳は雄を、凰は雌を指し、聖人君子が帝位につくと姿を現わし、天下泰平の治世には、雌雄が一緒に飛び、明け方に鳴くと言われています。日本では飛鳥時代以降、鳳凰文は高貴な文様として、貴族の衣服や工芸、牛車、建築などに広く使われてきました。江戸時代には庶民も吉祥紋として使用するようになりますが、一貫して慶ばしいことの象徴とされ、主に用いられるのは婚礼の調度品でした。
本用箪笥の鳳凰文は「鳳凰唐草」(ほうおうからくさ)と呼ばれ、鳳凰の長い尾を唐草で表現した優雅な物で、両家の末永い繁栄への願いが込められています。