「鉄錆地三十二間星兜」は、江戸時代に活躍した甲冑師一派「明珍派」(みょうちんは)の14代当主「義長」(よしなが)の作品です。
明珍派は、最も有名な甲冑師の一派であり、江戸時代には諸藩の「御抱具足師」(おかかえぐそくし)となったことで広く地方に分布しています。
本甲冑(鎧兜)の「兜」は、三十二間の各筋に1行9点の大きな星を打った重量感のある「鉄錆地三十二間星兜」です。首周りを保護する「錣」(しころ)は「饅頭錣」(まんじゅうしころ)と言い、独特な丸みを帯びているのが特徴。錣の「鉄黒漆塗板物三段萌黄糸威」による緑色の縅糸(おどしいと)が兜全体に彩りを添えます。
左右にある「吹返」(ふきかえし)には、「井桁紋」と「細輪紋」を並べた個性的な家紋を配置。兜の鉢裏、後正板には「義長」と銘が彫られ、古式を模した品の良い1頭に仕上がっています。