彌彦神社は、越後平野西部の「弥彦山」(標高634m)山麓にある神社。創建年代は不明ですが、祭神は、「天照大神」の曾孫に当たる「天香山命」(あめのかごやまのみこと)です。天香山命は、漁業・農業・酒造・海水からの製塩技術等を教え、産業の礎を築くなどして越後を開拓。そして文化・産業の発展に尽力し、越後国を造った神として、祀られています。以後、現在まで天香山命は「おやひこさま」として広く慕われてきました。
また天香山命は、武人たちから広く信仰を集めました。理由は、約2,600年前に「神武天皇」が九州「高千穂宮」(たかちほのみや)を発ち、大和を平定して「橿原宮」(かしはらのみや)で即位した「東征」において、武功を上げたからです。この東征によって、日本が建国されました。そのため彌彦神社には、「源義家」や「源義経」、「上杉謙信」ら名だたる武士が所有していた武具などを奉納。彌彦神社宝物殿では、これらが収蔵・展示されています。そのひとつが志田大太刀でした。
彌彦神社には、志田大太刀の他にもう1振り、新潟県の指定文化財となっている「三家正吉」(さんけまさよし)作の大太刀が収蔵されています。この大太刀は、1843年(天保14年)に奉納された物で、三家正吉は、越後・高田の刀工。「鞘巻太刀」(さやまきたち)と言われる拵は、すべて越後の工匠の作品です。「鍔」(つば)は新発田の「渡辺寛敬」作で、書「神武不賊」の金象嵌が施してあり、さらに、虎の目貫は「斎藤芳彦」の手による物で、言わば「オール越後」によって作り出された物でした。
天香山命は、神武天皇による日本建国という壮大な事業において、大きな足跡を残しました。彌彦神社宝物殿に収蔵・展示されている武具には、自分たちの手で新しい世界を切り開き、新しい地図を描いていくという「開拓者精神」が込められています。彌彦神社が、新潟県屈指のパワースポットとして崇拝される背景には、この点があるのかもしれません。