明治時代の重要用語

片山東熊 
/ホームメイト

「片山東熊」(かたやまとうくま)は、明治時代の日本に西洋式建築を導入した建築家です。明治政府が近代工業の発展を目指して育成した技術官僚のひとりで、宮内省に勤務して皇族や華族の邸宅を数多く手がけ、宮廷建築家と呼ばれました。そのひとつは現在、「迎賓館赤坂離宮」(げいひんかんあかさかりきゅう)となり、世界各国の賓客を迎える施設として活用されています。片山東熊の生涯と、華麗で格調高い代表作をご紹介しましょう。

明治時代の重要用語

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「片山東熊」(かたやまとうくま)は、明治時代の日本に西洋式建築を導入した建築家です。明治政府が近代工業の発展を目指して育成した技術官僚のひとりで、宮内省に勤務して皇族や華族の邸宅を数多く手がけ、宮廷建築家と呼ばれました。そのひとつは現在、「迎賓館赤坂離宮」(げいひんかんあかさかりきゅう)となり、世界各国の賓客を迎える施設として活用されています。片山東熊の生涯と、華麗で格調高い代表作をご紹介しましょう。

片山東熊の生涯

明治維新の中心勢力、長州藩に生まれる

片山東熊

片山東熊

片山東熊は、幕末の1853年(嘉永6年)に長州藩(現在の山口県)の下級藩士の四男として生まれました。この年、アメリカの軍人「マシュー・ペリー」が4隻の戦艦を率いて浦賀(現在の神奈川県横須賀市)に来航し、江戸幕府に開国と通商を迫っています。

この「ペリー来航」と呼ばれるできごとは、外国人を排除するべきと考える攘夷派(じょういは)と開国派の対立を招き、開国を決断した江戸幕府に不満を持つ攘夷派は倒幕運動に向かいました。その先鋒になったのが長州藩の出身者らで、倒幕を果たすと、江戸幕府に代わって成立した明治政府の中核を担います。

このように倒幕の気運が高かった長州藩で片山東熊は成長し、大柄だったのを幸いに年齢を偽って12歳で長州藩の奇兵隊に入隊しました。1868年(慶応4年)に始まった明治政府と旧幕府勢力の戦い、「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)には討幕軍として参戦しています。

長兄が汚職事件に巻き込まれる

片山東熊の長兄「湯浅則和」(ゆあさのりかず)は草創期の陸軍で中佐に任官していましたが、1872年(明治5年)に発覚した汚職事件の責任を取って辞職しました。

この引責辞職は、同郷の上司でのちに内閣総理大臣になる「山縣有朋」(やまがたありとも)をかばってのことだったと見られており、以後、山縣有朋は湯浅則和の弟である片山東熊を引き立て、自宅を新築する際にまだ学生だった片山東熊に設計を任せています。

工部大学校でジョサイア・コンドルに師事する

工部大学校の前身は、近代工業の発展を急ぐ明治政府が1871年(明治4年)に創設した技術者養成機関、工部省工学寮です。専攻科には土木、造家(建築)、造船、電気工学・電信、化学、鉱山学があり、広く工学分野の技術者を育成し、1877年(明治10年)に工部大学校と改称されました。

片山東熊は1873年(明治6年)に工学寮へ入寮し、1879年(明治12年)に工部大学校造家学科の第1期生として卒業しています。このときの指導者は、明治政府が招いたイギリス人建築家「ジョサイア・コンドル」で、測量や材料力学、地質学、建築構造、図面などの専門教育を担当しました。

また、同期生には日本銀行本店や東京駅を設計した「辰野金吾」(たつのきんご)がいます。

日本の建築家第1世代として活躍

日本の伝統的な建築界で設計を担当してきたのは大工の棟梁や、築城の得意な武士でした。また、僧侶が寺院の構造を決めたり、茶人が茶室をデザインしたりした例があります。それまでの日本には建築設計に専従する技術者がおらず、建築家は明治時代に西洋式建築と一緒に導入された新しい職能だったのです。その第1世代が片山東熊のように国策で育成された建築家で、建築の近代化を牽引しました。

片山東熊は工部大学校を卒業後、工部省の技官を経て、1886年(明治19年)に宮内省に転省。同省の建築部門、内匠寮(ないしょうりょう)の長官にあたる内匠頭(たくみのかみ)にまで昇進し、1915年(大正4年)に職を辞しました。

この在職中に片山東熊は、数々の皇室建築や官公庁舎、博物館を手がけています。その多くは片山東熊が得意とした欧風様式で、構造は整然とした左右対称、随所に秀麗な装飾が見られ、また、美しいだけでなく震災や戦災を耐え抜いた堅牢性も備えていました。そうした片山東熊の代表作を次章でご紹介しましょう。

片山東熊の代表作

迎賓館赤坂離宮

迎賓館赤坂離宮

迎賓館赤坂離宮

迎賓館赤坂離宮(東京都港区)は1909年(明治42年)に、当時、皇太子だった123代「大正天皇」の住まい、東宮御所として片山東熊の設計、総指揮で建設されました。その壮麗な佇まいは、19世紀末の欧米で流行したネオ・バロック様式で、豪華なデザインが特徴です。本館の正面玄関の屋根には阿吽(あうん)の鎧武者彫刻をいただき、その両脇の屋根には天球儀を配置して、和洋の意匠を採り入れています。

また、室内装飾には美術界の第一人者が動員され、洋画家の「黒田清輝」(くろだせいき)、七宝焼作家の「濤川惣助」(なみかわそうすけ)、花鳥画の大家「今尾景年」(いまおけいねん)らが携わりました。

なお、本建築は1974年(昭和49年)に国の迎賓施設として新装開館し、2009年(平成21年)には国宝に指定されています。

神宮徴古館・農業館

神宮農業館

神宮農業館

神宮農業館」(三重県伊勢市)は、片山東熊が手がけた数少ない木造建築です。1891年(明治24年)、「伊勢神宮」の宮域に農林水産資料を展示する、日本で最初の産業博物館として開館しました。その様式は和洋折衷で、モデルは10円硬貨の図案で知られる平安時代の建築、「平等院鳳凰堂」(びょうどういんほうおうどう:京都府宇治市)です。

神宮徴古館

神宮徴古館

また、1909年(明治42年)には片山東熊設計の「神宮徴古館」(じんぐうちょうこかん)が開館し、伊勢神宮が20年ごとに行う式年遷宮(しきねんせんぐう)で使われた貴重な神宝を展示しています。この建物は、窓やエントランスにアーチ型を多用したルネサンス様式で、外壁は日本で最も古い、御影石(みかげいし)風に焼いた煉瓦です。

この2館は移築・改修を経て、現在は隣り合って公開されており、両館とも1998年(平成10年)に明治時代の代表的遺構として国の登録有形文化財に指定されました。

京都国立博物館「明治古都館」

京都国立博物館「明治古都館」

京都国立博物館「明治古都館」

京都国立博物館」(京都府京都市)の「明治古都館」は、1897年(明治30年)に同館が「帝国京都博物館」として開館した際の建物です。

片山東熊が最も得意としたフレンチ・ルネサンス様式の外観を、着工当初は「古都に洋風建築は似合わない」と考える人もいましたが、現在では端正で安定感のある赤煉瓦の佇まいが景観に馴染んでおり、1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定されています。

片山東熊は本建築を3階建てにするつもりでしたが、着工の前年、1891年(明治24年)に愛知県と岐阜県を中心とする「濃尾地震」(のうびじしん)が発生し、多くの建物が倒壊した実態を見て、平屋建てに変更しました。また、煉瓦を固定するセメントの耐震性を確かめるために、各社の製品の比較実験を行った記録があります。

東京国立博物館「表慶館」

東京国立博物館「表慶館」

東京国立博物館「表慶館」

東京国立博物館」(東京都台東区)の「表慶館」(ひょうけいかん)は、皇太子時代の123代「大正天皇」のご成婚を祝う国民の寄付金によって奉献され、1909年(明治42年)に開館した日本で最初の本格的な美術館です。

片山東熊は、本建築を堅固な総煉瓦造りにし、外壁に花崗岩を貼って石造り風に見せました。その外壁を飾るレリーフは、芸術の館らしく製図用具や工具、楽器などがモチーフ。外観は屋根の中央と両翼に計3つのドームをいただくネオ・バロック様式で、建物内で中央ドームを見ると、ドーム型の天井まで吹き抜けの構造になっており、中心の天窓から自然光が射し込みます。

この他にも、エントランスの床に多色の大理石で描いたモザイク画や、2階展示室に続く階段の手すりの曲線美など多くの見どころがあり、建物自体が美術作品のような本建築は、明治時代の洋風建築の傑作として、1978年(昭和53年)に重要文化財に指定されました。

片山東熊の逸話

戊辰戦争で居眠り

先述のように、片山東熊は12歳で長州藩の奇兵隊に入隊し、15歳頃に戊辰戦争に参戦しました。この戦いで、会津藩(現在の福島県)に進軍した際、休憩時間に熟睡してしまい、激しい銃撃戦が始まっても目を覚まさなかったという豪快なエピソードがあります。

天皇の料理番に怒鳴られる

ドラマ化もされた小説「天皇の料理番」の主人公として知られる「秋山徳蔵」(あきやまとくぞう)は、大正時代から昭和時代にかけて宮内省で主厨長を務めた料理人です。宮内省に採用されて間もない26歳の頃、靴を履き替えないまま厨房に入ってきた男性を怒鳴りつけたことがありました。このとき怒鳴られた者こそ片山東熊で、新入りの秋山徳蔵よりもはるかに上級の宮内省高官でしたが、秋山徳蔵のふるまいを咎め立てせず、すぐに厨房用の上履きに履き替えたと伝わります。

明治天皇にお叱りを受ける

かつての東宮御所、現在の赤坂離宮迎賓館は「近代洋風建築の到達点」と評価される片山東熊の最高傑作ですが、完成した際の122代「明治天皇」の感想は「贅沢だ」でした。この一言に片山東熊は落胆し、しばらく寝込んでしまったと言われています。

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