どうする家康に登場する人物

お葉
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「お葉」(およう)は、今川義元の家臣「鵜殿家」(うどのけ)出身の娘で、「西郡局」(にしこおりのつぼね)と呼ばれる人物です。別名は「西郡の方」(にしこおりのかた)、「西郡の局」。2023年大河ドラマ「どうする家康」では、「北香那」(きたかな)さんが演じます。お葉は松平家の侍女として岡崎城で働きますが、やがて徳川家康の側室になりました。お葉の生涯をはじめ、功績についてご紹介します。

大河ドラマ歴史年表(歴代別/時代別)
これまで放送された大河ドラマ、及び今後放送予定の大河ドラマを一覧で見ることができます。
大河ドラマ どうする家康
どうする家康は徳川家康の人生を描いたNHK大河ドラマ。キャストや登場する歴史人物、合戦などをご紹介します。

お葉の生涯

西郡局(蓮葉院)

お葉(西郡局)

西郡局は1548年(天文17年)、三河国宝飯郡(現在の愛知県蒲郡市)を拠点とする鵜殿家の支流「柏原鵜殿家」に仕えた家臣「加藤義広」(かとうよしひろ)の娘として誕生しました。

別名は「西郡の局」、「西郡の方」、「蓮葉院」など。大河ドラマ「どうする家康」では「お葉」という名で登場します。

なお、鵜殿家は今川家の家臣でしたが、1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」で今川義元が討死すると、「上ノ郷鵜殿家」のみが今川家に、柏原鵜殿家を含む庶家(しょけ:宗家または本家から別れた一族のこと)は徳川家康に仕えました。

徳川家康の側室となる

徳川家康

徳川家康

今川義元亡きあと、嫡男の「今川氏真」(いまがわうじざね)が今川家の跡を継ぎますが、今川氏真の器量に不安を感じた今川家の家臣達は次々と離反。しかし、徳川家康は柏原鵜殿家が今川氏真に寝返ることを恐れ、柏原鵜殿家から側室を迎えることで、結び付きを強めようと考えます。

そこで柏原鵜殿家の「鵜殿長忠」(うどのながただ)はお葉を養女として迎え、1562年(永禄5年)に側室として徳川家康に差し出しました。やがて徳川家康の側室となったお葉は、1565年(永禄8年)あるいは1575年(天正3年)に徳川家康の次女となる「督姫」(とくひめ)を出産。

1579年(天正7年)に徳川家康の嫡男「松平信康」(まつだいらのぶやす)が切腹し、徳川信康の妻「徳姫/五徳姫」(とくひめ/おごとくひめ)が安土(あづち:現在の滋賀県東部)へ送り返されると、お葉は松平信康の2人の娘である「登久姫」(とくひめ)と「熊姫/妙高院」(ゆうひめ/みょうこういん)を養育することとなりました。

1590年(天正18年)、「豊臣秀吉」によって徳川家康が関東に移封(いほう:他の領地に移すこと)されると、お葉は徳川家康とともに「江戸城」(えどじょう:東京都千代田区)に移ります。

その後、1606年(慶長11年)5月14日に「伏見城」(ふしみじょう:京都府京都市伏見区)で急死。徳川家康の命より、お葉の葬儀は娘婿である「池田輝政」(いけだてるまさ)が執り行い、「本禅寺」(ほんぜんじ:京都府京都市上京区)に葬られました。

お葉が復興した寺

お葉が復興した寺として「長応寺」(ちょうおうじ:東京都品川区)があります。長応寺は1479年(文明11年)に鵜殿家によって開基(かいき:寺院や宗派を開くこと)された菩薩寺で、当時は西郡(現在の愛知県蒲郡市)にありました。

しかし、1562年(永禄5年)に徳川家康が「上ノ郷城」(かみのごうじょう:愛知県蒲郡市)を攻めた際、長応寺は戦火によって焼失してしまいます。

鵜殿氏が信仰していた「法華宗」に帰依(きえ:神や仏の力を信じて従うこと)していたお葉は、長応寺の住職「日翁」(にちおう)に多大な寄進(きしん:神社・寺院などに金銭や財物などを寄付すること)を行い、1590年(天正18年)に徳川家康と江戸に移った際には、長応寺を日比谷の地に復興させました。その後、長応寺は数度にわたって江戸を移転し、現在の場所に落ち着きます。

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