徳川家康の命により、平岩親吉の跡を継ぐため養子となった「徳川家康」の八男「松平仙千代」(まつだいらせんちよ)をご紹介します。
松平仙千代
「松平仙千代」は、1595年(文禄4年)に「徳川家康」の八男として伏見(現在の京都市伏見区)にて誕生しました。
母は徳川家康の側室「お亀の方」(のちの相応院[そうおういん])。尾張徳川家の始祖となる「徳川義直」(とくがわよしなお)の同母兄にあたります。
幼いながら利発だったと言われる松平仙千代は、4歳まで伏見で暮らしました。
そののち、長兄である「徳川信康/松平信康」(とくがわ/まつだいらのぶやす)の傅役(もりやく:教育係)で「徳川十六神将」のひとりでもあった「平岩親吉」(ひらいわちかよし)に跡継ぎがいないことを気にかけた徳川家康の命により、平岩親吉の跡を継ぐため養子となります。しかし1600年(慶長5年)、数え年6歳で早世しました。