戦国武将の隠し湯

上杉謙信の隠し湯
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上杉謙信の隠し湯 上杉謙信の隠し湯
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越後の龍と称された「上杉謙信」に、甲斐の虎と称された「武田信玄」。武田信玄が北上して信濃に領土を広げていく中で、北には上杉謙信率いる上杉の勢力が控えていたことから、両者は度々、戦に発展していました。それが、5回にも及ぶ合戦「川中島の戦い」。このような経緯から、歴史上のライバルとして見られることも多い両者ですが、上杉謙信と武田信玄は隠し湯を持つ数についても良きライバルでした。今回は上杉謙信の隠し湯についてご紹介します。

上杉謙信と武田信玄の湯をめぐるエピソード

上杉謙信と武田信玄

上杉謙信と武田信玄

有数の隠し湯を持つことで知られる「武田信玄」は、負傷した兵の回復を図るために、領土拡大と共に各地に隠し湯を置きました。

武田信玄に限らず「上杉謙信」など他の戦国大名も同様に温泉を利用。戦国時代には、すでに止血の手段はありましたが、現代の医術とは大きく離れた技術だったため、心身ともに回復を図れる温泉は重要だったのです。

なにより湯治(とうじ)に価値のあった戦国時代。上杉謙信と武田信玄との間には、温泉にまつわる話があります。舞台は、現在の長野県の北信地方にある「野沢温泉」。古くから存在していた野沢温泉は、ちょうど上杉謙信と武田信玄の勢力の間にありました。当時の勢力図からすると、野沢温泉はいつ戦火を浴びてもおかしくない状況だったのです。

しかし、上杉謙信と武田信玄の交戦状態が続いていたにもかかわらず、多くの利用者が野沢温泉を訪れていたと言います。上杉謙信と武田信玄は、湯治の重要性を知っていたからこそ、あえて温泉をつぶすようなことは考えていませんでした。隠し湯を多く持つ、両者だからこそのエピソードなのです。

上杉謙信の隠し湯のひとつ、貝掛温泉

貝掛温泉新潟県南魚沼にある秘湯です。室町時代の文献にもその存在が記されており、700年ほどの歴史がある温泉。人里離れた山奥の温泉でまさに、隠し湯として好都合な場所にあったのです。

上杉謙信は関東管領であった「上杉憲政」(うえすぎのりまさ)を保護していたこともあり、憲政が関東に返り咲けるよう何度も関東に兵を挙げています。貝掛温泉は、越後(現在の新潟県)の拠点から関東に向かう道中にありました。

戦で傷ついた兵の回復や癒しのために貝掛温泉を隠し湯として活用。江戸時代の手記には、目を悪くした人が多く訪れていたとあります。今でこそ、目の温泉と言われるようになった貝掛温泉は、隠し湯として重要な場所のひとつでした。

貝掛温泉:目の温泉 奥湯沢 貝掛温泉

貝掛温泉

貝掛温泉

開湯700年の歴史があり、目薬として昭和前期頃まで生産や販売がされていたほど薬としても効能があった貝掛温泉。

日本温泉協会の五つ星に認定されている全国屈指の風呂であり、源泉温度が37度のため、ゆったり長湯を楽しむ温泉で自律神経を整えたり、疲労回復したりする効果もあります。

この宿の源泉掛け流しの「目薬の湯」は現代病でもあるドライアイにも効果が高く、パソコンなどの疲れ目を癒してくれます。

温泉名称 貝掛温泉 連絡先 025-788-9911
所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町大字三俣686

日本でも有数の薬湯であり隠し湯だった松之山温泉

貝掛温泉と同様、上杉謙信の隠し湯と言われる松之山温泉(新潟県十日町市)。実はこの両方の温泉には共通していることがあります。それは、上杉謙信の居城がある上越市から関東に至る街道付近に位置していることです。

そして、もうひとつ共通することは、温泉としての効能です。松之山温泉は、草津温泉有馬温泉と並んで日本三大薬湯に数えられています。上杉謙信が狙って効能が期待できる温泉を隠し湯にしていたためなのか、いずれも戦で傷ついた体を癒すのには、うってつけの温泉でした。

松之山温泉:ひなの宿 ちとせ

ひなの宿 ちとせ

ひなの宿 ちとせ

松之山温泉は、古くから湯治湯として評判が高く、温泉法基準値の15倍の温泉成分が含まれている塩分濃度が高い源泉掛け流しの温泉で日本三大薬湯のひとつです。

豊富な塩分の作用で体の芯からよく温めてくれるため、「熱の湯」とも呼ばれる温泉。

ひなの宿 ちとせは、自然に囲まれた露天風呂の「月見の湯」があり、冬は雪見風呂を楽しめます。

また、旅館の入り口には足湯があり、気軽に様々な形で温泉に入ることができる宿です。

温泉名称 ひなの宿 ちとせ 連絡先 025-596-2525
所在地 新潟県十日町市松之山湯本49-1

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