江戸時代、爆発的な人気を誇った歌舞伎。人気のあまりに、風紀を乱すとして「女歌舞伎」、「若衆歌舞伎」が取り締まられ、女優や若衆(美少年)の出演が禁止となりました。そのため、野郎歌舞伎(野郎頭にした成人男性)での興行だけが許され「女形」(おやま:女性に扮する男性)が登場することになります。そんな一風変わった歌舞伎を演出する、演出家の仕事や演出方法についてご紹介します。
「立師」(たてし)とは、簡単に言うと立廻り(たちまわり:日本刀などでの斬り合いや格闘・戦闘シーン)の振付師で、演技指導を行なう人のことです。歌舞伎の立廻りに欠かせない立師について、ご紹介しましょう。
歌舞伎の立廻りは、1対1の素手による格闘の場合もあれば、日本刀での斬り合いや、主役に対して大勢の戦闘要員が一斉に挑みかかっていく場合もあります。立師はこうした戦いの場面の一人ひとりの振り付けや演技指導だけでなく、集団のフォーメーション、さらにはその場面全体の構成についても、主役を演じる役者と相談をしながらまとめていく役割を担っています。
これまでの歴史の中で、歌舞伎の立廻りにはいくつかの「型」が多数生まれ、存在しています。例えば「山形」とは、日本刀を振り下ろして斬りおろす型。「柳」は、打ってかかるのを斜めにかわす型。天地は、日本刀の斬り合いで上下に払う型。「千鳥」は、主役がかかってくる大勢の軍兵や捕り手を左右へ交互に払う型。「とんぼ」は、大勢の軍兵や捕り手達が主役に払われ宙返りをする型。
基本的には「まず山形で、次に柳」というように型を組み合わせることにより、一連の立廻りシーンを構成できるようになっています。しかし、立師の最大の役割は、主役の演者を最大限格好良く見えるように引き立たせること。そのため、上演のたびに主役の役柄や好みに合わせた立廻りを立師が考案したり、工夫したりするのです。
蘭平物狂
歌舞伎の立廻りには、時代劇のように、激しく日本刀で打ち合うといったスピード感はありません。しかし、立廻りの見せ場の迫力、スケールの大きさは観る者の心をときに鷲掴みにします。
迫力満点で有名な大立廻りが楽しめる時代物の演目として、有名なのが「倭仮名在原系図」(やまとがなありわらけいず)の一部である「蘭平物狂」(らんぺいものぐるい)という芝居。
ストーリーを簡単に説明すると、「在原行平」は左遷の際に恋に落ちたという海女「松風」のことが忘れられず、落ち込んでいました。そこで主人公の蘭平が、松風に似た女「おりく」とその夫「与茂作」を探し出し連れてくるという恋物語です。蘭平は、刀剣を見ると狂乱する奇病の持ち主。なぜなら幼い頃、父を殺され亡くしていたからなのでした。刀剣「天国」を大切に所持していた蘭平ですが、なんとおりくの夫、与茂作も天国を持っており、2人は兄弟で、父を殺した敵こそが在原行平だったことが分かるのです。そこで、ドタバタ劇が繰り広げられる話。
主役の蘭平と捕り手達が演じる大立廻りは、「四天」(よてん)と呼ばれる立廻り専門の若い役者達が、次々ととんぼ(宙返り)を切り、激しい動きを繰り広げます。刺股(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)という道具を持った捕り手も登場。クライマックスは、花道に立てられた大きな「はしご」の頂上に捕り手のひとりが上り、出初め式のはしご乗りさながらに逆さになって開脚します。蘭平も、はしごの上で日本刀を持って見得(みえ)を切る中、はしごがそのまま倒れていく…。
こういったシーンを演出するのが、立師の腕の見せどころ。歌舞伎ならではのスペクタクルさが見どころの演目なのです。
歌舞伎で役者が身に付けたり手に持ったりする小道具を「持道具」(もちどうぐ)と呼びます。印籠(いんろう)や煙管(きせる)、扇子などで、刀剣類もそのひとつです。しかし、歌舞伎で使われる日本刀は、実は時代劇や現代劇で使用される物とは違う、ある大きな特徴があります。
端的に言うと、歌舞伎の日本刀は本物に似せることに重きがおかれていません。これは、一般的な劇ではあたかも本物のように思われる「リアル」な表現を重要視するのに対し、歌舞伎は「大噓の中に宿るリアル」を追求しているからです。「大噓の中とはまた極端な」と思うかもしれませんが、ここに歌舞伎のひとつの面白さがあり、それを支える持道具としての日本刀も、その力を発揮するのです。
歌舞伎は「らしさを追求した芸能」、あるいは「型の演劇」と言われます。写実的な表現ではなく、舞台上でそれらしく見えることに重きをおいて型を作り、その様式性を大切にした表現芸術として発展してきたのです。
役柄がまさにそうで、これは歌舞伎が江戸時代に生まれ、発展した芸能であることもその一因になっています。江戸時代、人々の髪型や服装、言葉遣い、使用する道具などは、職業や身分、立場、また性別や年齢によっておおよそ決まっており、歌舞伎ではこれをベースに扮装や持道具などが決められました。その上で注目したいのは、役の性格をよりいっそう際立たせるための「誇張」や「様式化」が行なわれている点です。
例えば、女形。女形も細分化するといろいろな役柄がありますが、何より男性が演じる訳ですから、女性に見えることが第一条件。よく「本物の女性より女形の方が女性らしい」と評されますが、これはある意味カタチを重んじた上での誇張があってこそ。男性が女性を演じるということがそもそもの「大噓」のもと、「らしさ」がとことん追求されていく中で、そのように見える、思える、感じられる絶妙のリアルさが宿り、それが観客の心に届くのです。
鎌倉権五郎
持道具もしかりです。実際に日常で使用する「本物」が使われることもありますが、役柄や性格を的確に表現するために作られた「拵え物」(こしらえもの:作り物)もあり、これが舞台で本物以上の効果を発揮するのです。
刀剣類も同様です。江戸時代とはいえ、当時の観客であった庶民にとって武士や公家は遠い存在であり、誇張や様式化の度合いが大きくなっています。
例えば「暫」(しばらく)の主人公の「鎌倉権五郎」(かまくらごんごろう)が使用する大太刀は、何と長さが3m近くもあります。もちろんこれは本物ではない拵え物(作り物)で、権五郎の豪快さや荒々しさをより効果的に表現するために、本物に似せた物ではなく、誇張された物が使用されているのです。
このような歌舞伎の特徴や魅力を知った上で、登場する刀剣類を眺めると、また違った面白さを発見できるのではないでしょうか。